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大阪高等裁判所 昭和61年(行ス)19号 決定

第一九号事件抗告人・第二〇号事件相手方(申立人) 梁三鉉 外四名

第一九号事件相手方・第二〇号事件抗告人(被申立人) 大阪入国管理局主任審査官

主文

一  昭和六一年(行ス)第一九号事件

原審申立人らの本件各抗告をいずれも棄却する。

二  同年(行ス)第二〇号事件

1  原審相手方の本件抗告に基づき、原決定主文第一項を取消す。

2  原審申立人らの本件各申立中、原審相手方が原審申立人らに対し昭和六一年六月二七日付で発付した退去強制令書に基づく各執行のうち本案(大阪地方裁判所昭和六一年(行ウ)第五三号)の第一審判決言渡しまで各送還部分の執行停止を求める部分をいずれも却下する。

三  本件申立費用及び抗告費用はいずれも原審申立人らの負担とする。

理由

一  本件抗告の趣旨及び理由

1  昭和六一年(行ス)第一九号

原審申立人らの本件抗告の趣旨及び理由は、別紙(一)ないし(四)記載のとおりであり、これに対する原審相手方の意見は別紙(五)記載のとおりである。

2  同年(行ス)第二〇号事件

原審相手方の本件抗告の趣旨及び理由は、別紙(六)及び(七)記載のとおりであり、これに対する原審申立人らの意見は、別紙(八)及び(二)記載のとおりである。

二  当裁判所の判断

1  原審申立人らの出入国管理及び難民認定法(以下、法という)四九条一項に基づく異議申立を理由なしとした裁決(以下、本件裁決という)及び主文第二項掲記の退去強制令書(以下、本件令書という)の発付処分に至るまでの手続、右各処分に対する本件取消の訴えの提起、並びに原審申立人らの国籍、生育歴、生活歴、本邦への出入国の経緯、本邦における潜居、残留生活の状況等の事実に関する当裁判所の認定は、左記のとおり付加するほか、原決定の理由二1及び2に説示するところと同一であるから、これを引用する(ただし、原決定六枚目裏八行目の「元」を「もと」と、同九行目及び一〇行目の「申立人」を「同申立人」と訂正する。)。

疎甲第三四、第四二号証及び同乙第四九号証によると、原審申立人永順は、昭和六一年一〇月七日大村入国者収容所に収容されたが、入所時の健康診断の結果は血圧、血沈には異常はなく、幾分、低血圧気味であつた。又、同女は同年六月子宮外妊娠の手術を受けて通院加療していたことがあり、右収容後においても時々子宮が痛むことがあつたが、このことを右収容所の医師に訴えたことはなかつたことが一応認められる。

2  前叙認定の事実によれば、原審申立人三鉉及び同永順は法二四条一号に、原審申立人龍孝、同智恵美及び同由理は同条七号に該当することが明らかである。

3  然るところ、原審申立人らは、本件裁決及びこれを前提とする本件令書発付処分については、後記主張の如き違法事由があり取消されるべきであるから、本件令書に基づく各執行の停止を求めるというのであり、これに対し、原審相手方は、原審申立人らが本件令書の執行停止を求める申立は、行訴法二五条三項の「本案について理由がないとみえるとき」に当るから失当である旨主張する。

行政処分の執行停止の申立において、同法二五条三項の「本案について理由がないとみえるとき」との要件の不存在については、申立人らにおいて、積極的に本案について理由があること、即ちその主張にかかる当該行政処分に違法事由の存在することを疎明することが要求されるものではなく、申立人としては単に違法事由を主張すれば足りるものというべく、従つて相手方(行政庁)の主張及び疎明との対比において申立人の右主張自体が合理性を欠くものではなくその主張にかかる事実の存在が一概に否定できないものでこれが明らかに失当とはいえず、右違法事由を争点とする本案において、申立人勝訴の見込みの蓋然性が認められないではない場合には、前記の「本案について理由がないとみえるとき」に当らないものと解するのが相当である。

以下、この見地において前記論点について検討する。

(一)  原審申立人らは、三鉉及び永順は、原審相手方より法二四条一号の違反者と判定されたものであるが、同法七〇条によれば法二四条一号の違反者に対しては三年以下の懲役若しくは禁錮又は三〇万円以下の罰金に処する旨定めているから、三鉉らの右罪については既に公訴時効が完成していて、もはや処罰の対象ではない。従つて、三鉉らの存在が日本国の公の秩序と公共の安全に対して脅威を与え、あるいは同人らの在留が日本国にとつて有害となるものではないのにかかわらず、同人らを強制送還することは国際人権規約(B)市民的及び政治的権利に関する国際規約一二条二項に基づく同人らの韓国からの出国の自由権を侵害することになる旨主張する。

しかしながら、法は、同法三条の規定に違反して本邦に入国した外国人に対しては、同法七〇条一号の違反者として同条所定の罰則を適用してこれを処罰するものとし、他方、これとは別に同法二四条一号の該当者として同法第五章の退去強制手続により本邦からの退去を強制することができるものとし、刑事罰及び行政処分の両者をもつて不法入国及び不法残留を防遏しようとするものであるから、同法三条違反の不法入国者に対しては、同法七〇条の刑事処罰の有無如何にかかわらず、それとは別個に所轄行政庁において独自に同法二四条に基づき退去強制の行政処分を行うことができることは明らかといわねばならない。公訴時効の完成により当該不法入国者に対し刑事訴追ができなくなつたからといつて退去強制の行政処分を行うことができないとする理由は全くない。

のみならず、国家は国際慣習法上、外国人の入国を常に受け入れるべき義務を負うものではなく、外国人を自国に受け入れ、その入国及び在留を許可するかどうか、許可する場合でもいかなる条件で許可するかは国家固有の権能に属し、条約等の特別の取決めの存しない限り、不法入国者についてはその公の秩序、安全の脅威、有害性を必ずしも要件とすることなく国家はこれを自由に決定することができるものとされているのであり、前記法二四条一号は不法入国者につき強制退去をわが国の政策として容認しているものといえるのであつて、国際人権規約も右の国際慣習法上の原則を当然の前提として外国人の入国の制限の権限を各国に留保したうえ制定されたものと認められるから、右規約も、国際慣習法に則り我が国における出入国関係を規律する法として定立された前記法に基づく本件令書発付処分の効力を直接に左右するものとはいえない。

申立人ら主張の(B)規約一二条二項は、「すべての者はいずれの国(自国を含む)からも自由に離れることができる」と規定するが、右規定が締結国における外国人の入国規制について制約を加えるものでないことは明らかであり、原審申立人らが自国から出国する自由を有するとしても、我が国においてこれを受け入れ入国をさせねばならない義務が生ずるものではないのであり、我が国が固有の権能により定立した前記法に基づき不法入国者である原審申立人らに対し退去強制を命ずることは何ら同人らの出国の自由を侵害するものではない。

原審申立人らの右主張は理由がない。

(二)  原審申立人らは、三鉉は永順とともに昭和五三年一二月初頃から大阪市生野区田島五丁目四番一〇号に居住し、鞄製造業を自営し、善良な市民として親子五人が生活する基盤をやつと作り上げたのにかかわらず、産業の乏しい本籍地の済州道に強制送還される場合は、十分な生活水準を享受することは不可能であり餓死を強いるに等しいものであるから、本件各処分は国際人権規約(A)経済的、社会的及び文化的権利に関する国際規約一一条一項に違反し、又、憲法一三条、二九条にも違反する旨主張する。

しかしながら、右国際人権規約は、各締結国が経済的、社会的及び文化的権利に関して達成すべき努力目標を明らかにし、その実現のため、立法措置その他の適当な方法を採用し、個々に又は国際的な援助及び協力を通じて行動することを約したものであるに過ぎず、(A)規約の各規定を根拠にして締結国に対し権利の実現、回復を請求することができることまで認めたものとは解されない。のみならず、(A)規約一一条一項の趣旨とするところも、合法的に居住している国民ないし住民を前提とするものであつて、各締結国が不法入国者に対し退去強制の手段を採ることを否定するものではないと解するのが相当である。

そして、前叙認定事実によれば、原審申立人三鉉は昭和四九年一〇月頃、出稼ぎの目的をもつて本邦に不法入国したものであり、又、同永順も昭和四七年一二月頃、同じく出稼ぎの目的をもつて本邦に不法入国したものであつて、右申立人らが本邦に入国するに当つては、不法入国の事実が発覚すれば退去を強制されるであろうことを十分認識しながら入国したものと推認するに難くなく、右申立人らが入国以来本邦に潜居していた期間がいずれも一〇年余に及び、その間に両名婚姻して原審申立人龍孝ら三名の子を儲け、鞄製造業を営んで前叙の如き財産を形成するに至つたものではあるが、右潜居生活は本邦において違法な残留状態の継続として営まれたものであつて、右財産形成も右違法残留の結果であるに過ぎず、これを目して原審申立人らが本邦において合法裡に生活基盤を築くに至つたものとは認め難い。従つて、申立人らが不法入国者として退去を強制され、本邦における生活を中断するのやむなきに至り、それによつて精神的苦痛あるいは経済的不利益を被ることがあるとしても、それは当初から客観的に予測することができた事柄であり、申立人らにおいて受忍すべきものといわねばならない。

更に、前叙認定の事実によれば、原審申立人三鉉は本国において商業高校を卒業し、父の営む洋服製造業の手伝いをしていたものであり、同永順は本国において中学校を卒業し祖母の許で農業の手伝いをしていたものであること、現在、三鉉は三五歳、永順は三〇歳で働き盛りであり、健康にもさしたる異常はなく稼働能力も十分であること、三鉉は本国に次兄及び姉がおり、永順は生母及び姉妹がいて身寄りがないわけではないこと等が認められるのであり、これらによれば、申立人らが帰国しても、三鉉夫婦が労働意欲をもつて稼働すれば一家五人の生活を維持することができるものと推認されるのである。

以上のとおりであるから、本件各処分が国際人権規約(A)経済的、社会的及び文化的権利に関する国際規約一一条一項に違反するものということはできない。

又、叙上の説示に徴すると、本件各処分によつて相手方らにもたらされる結果をもつて、直ちに憲法一三条あるいは二九条の条規ないし趣旨に違反するものということはできない。

(三)  原審申立人らは、国際人権規約(B)市民的及び政治的権利に関する国際規約二四条によれば、すべての児童は未成年者としての地位に必要とされる保護措置を受ける権利を家族、社会及び国に対して有すると規定されているので、申立人龍孝ら三名は児童として強制送還による餓死からの自由の保護措置を日本国に対して求める旨主張する。

しかしながら、国際人権規約(B)規約は、前叙のとおり、市民的及び政治的権利に関して、各締結国が理想として達成すべき権利保護の目標を掲げ、その実現に向けて努力すべき旨を協定したものであるに過ぎず、右規約から当然に個人が締結国に対し保護措置請求権を有するに至つたものとは解し難い。

原審申立人龍孝らは、それぞれ五歳、四歳、三歳の幼児であつて、父三鉉及び母永順によつて監護養育を受けているものであるから、父母が本国へ帰国するに当つては両親とともに帰国すべきものであり、帰国しても引続き父母による保護が期待される関係にあるものというべきであり、そして原審申立人ら一家が帰国しても本国においてその生活を維持できるであろうことは前叙のとおりであり、龍孝らが将来本国の教育制度に基づき進学をする機会が得られるであろうことは推認するに難くない。

従つて、申立人龍孝らに対し本邦からの退去強制処分をしても、同人らが未成年者としての地位に必要とされる保護を奪うことになるものではなく、前記人権規約の趣旨に反することにはならない。

原審申立人らの右主張は理由がない。

(四)  原審申立人らは、申立人らの本邦在留は国際的に認められた権利であつて、本件強制退去命令は何ら日本国の公の秩序と公共の安全に対して脅威を与え、国家にとつて有害であると認められる正当な理由がないのになされたもので、法務大臣の裁量権を著しく逸脱する不当なものである旨主張する。

しかしながら、原審申立人らの本邦在留が国際的に認められた権利に当るものでないことは前叙のとおりである。そして法は、前叙の国際慣習法の一般原則を踏まえて、本邦に入国し、又は本邦から出国するすべての人の出入国の公正な管理を図るために、法二四条において、本邦からの退去を強制することができる者を事由別に列挙しているのである。そして申立人らが、不法入国者あるいは不法残留者として同条一号ないし七号に該当するものであることは前叙のとおりであるから、同条に基づいて本邦からの退去を強制されてもやむをえないものといわねばならない。

ところで、法務大臣は、法二四条違反の容疑者からの異議の申立を審理、裁決するに当り、異議の申出を理由なしとする場合でも、法五〇条一項により当該容疑者に対し特別在留許可(以下、特在許可という)を付与することができるものとされているが、本件において法務大臣が原審申立人らに対し特在許可を付与しなかつたことが、抗告人ら主張の如き裁量権の逸脱ないし濫用に当るものでないことは後述のとおりである。

原審申立人らの右主張も理由がない。

(五)  原審申立人らは、法務大臣が申立人らに対し法五〇条一項の特在許可を付与しなかつたことは裁量権の濫用に当り、本件裁決は違法である旨主張する。

しかしながら、前記認定事実によれば、原審申立人三鉉は、前叙のとおり、昭和四九年一〇月頃、出稼ぎの目的で本邦に不法入国したものであり、同永順は、昭和四七年一二月頃、同じく出稼ぎの目的で本邦に不法入国したものであつて、右申立人らが本邦に入国するに当つては、不法入国の事実が発覚すれば退去を強制されるであろうことを十分認識しながら入国したものと推認するに難くないこと、右申立人らが本邦に入国後潜居していた期間はいずれも一〇年余に及び、その間に両名婚姻して原審申立人龍孝らを儲け、前叙の如き財産を形成するに至つたのであるが、右潜居生活は本邦において違法な残留状態の継続として営まれたものであり、財産形成もこれによりなされたものであるに過ぎず、これを目して申立人らが本邦において合法裡に生活基盤を築くに至つたものとは認め難く、本来法的保護を要求できる筋合のものではないこと、本邦には申立人三鉉及び同永順において介護、扶養し、あるいは経済上の援助を必要とする親族、係累はいないこと、申立人らはいずれも健康にさしたる異常はなく、本邦において特に医療を受けることを必要とする状況にはないこと、申立人三鉉及び同永順の年令、健康状態、本国における稼働歴、本邦における生活実態及び稼働状況からすると右申立人両名はいずれも十分な稼働能力を有していることが明らかであり、本国には身寄りもあり、帰国しても本国において一家の生活を維持するのに特段の支障はないものと推認されること、なお、右申立人両名は本邦において稼働した結果、前叙の如き預金を有するに至つたが、帰国に際しこれを持参すれば生計維持の一助とすることも可能であると考えられること、申立人龍孝らはいずれも五歳以下の幼児であつて、父である三鉉及び母である永順の監護養育を受けている身であるから、父母が本国に帰国の場合は父母と行動を共にすべきものであること、同人らは本邦において出生し生活してきたものであるけれども、年令の点からして本国の風土や生活になじむのも容易であろうと推認され、帰国して本国における教育施設等において教育あるいは保育を受けることになつても、右三名について教育上、保育上の不利益を生ずるとは考えられないこと、その他本件記録によつて窺いえられる諸般の事情に徴しても、原審申立人らに対し特在許可を付与するのを相当とする理由は見出し難い。そして、法務大臣が行う法五〇条一項三号のいわゆる特在許可が、法務大臣の自由裁量に属する処分であり、当該外国人の在留状況等の個人的事情のみならず、公安、衛生、労働事情等の国内事情及び国際情勢、外交政策等の対外的事情をも総合的に斟酌、勘案してなされるものであつて、その裁量の範囲が極めて広範にわたることに鑑みると、法務大臣が原審申立人らに対して特在許可を付与せず、本件裁決をなしたことが、その裁量範囲を著しく逸脱し、または裁量権を濫用したものとして違法であるということはできない。

3  以上の次第であつて、原審申立人らの主張する各論点その他一件記録を検討しても、本件裁決が違法であるとは認め難く、従つて本件裁決を前提とする本件令書発付処分もまた違法であるということはできない。

そうすると、原審申立人らの本件執行停止の申立は、行訴法二五条三項の「本案につき理由がないとみえるとき」に該当するものと認めるのが相当である。従つて本件執行停止の申立はその余の点につき判断するまでもなく失当であり、却下を免れないものといわねばならない。

よつて、本件執行停止の申立中、本件令書に基づく各執行のうち収容部分の執行停止を求める部分を却下した原決定主文第二項は相当であり、原審申立人らの本件抗告(昭和六一年(行ス)第一九号事件)はいずれも理由がないからこれを棄却すべく、本件令書に基づく各執行のうち本案(大阪地方裁判所昭和六一年(行ウ)第五三号)の第一審判決言渡しまで送還部分の執行を停止した原判決主文第一項は不当であつて、原審相手方の本件抗告(同年(行ス)第二〇号事件)は理由があるから、これに基づき右主文第一項を取消し、本件執行停止の申立中、右送還部分の執行停止を求める部分を却下し、本件申立費用及び抗告費用はすべて原審申立人らに負担させることとして、主文のとおり決定する。

(裁判官 廣木重喜 諸富吉嗣 吉川義春)

別紙(一)

抗告状

抗告の趣旨

一 原決定中、却下部分を取消す。

二 相手方が昭和六一年六月二七日付で抗告人ら五名に対して発付した退去強制令書に基づく各執行は、本案判決をなすに至る迄、之を停止する。

三 申立費用、抗告費用は相手方の負担とする。

との裁判を求める。

抗告の理由

一 抗告人梁龍孝(五歳)、同梁智恵美(四歳)、同梁由理(三歳)の三名は幼児であり、大村収容所での長期間の収容が、同人らの心身の発育を著しく阻害することは明らかである。殊に、長男梁龍孝は一九八一年二月二三日生れで(疎乙第三二号証)、来年四月に就学年令に達することから、長期間収容して就学の機会を奪うことは、人道上も到底許されることではない。

二 抗告人梁三鉉は鞄製造業を長期間休業することによつて得意先の喪失その他営業上の損失は計り知れないものがある。

三 抗告人李永順は、三児の母として保育に欠くことが出来ない者であり、且つ婦人病が収容所の冷えにより、益々悪化する状況である。

四 のみならず、抗告人らが本年九月一日に本案訴訟及び行政処分執行停止決定の申立をなした処、相手方は、それまで七、八月と二回、仮放免期間一ケ月の更新を認めていたのに、九月二五日本件裁判をなしたとの理由で期間の更新を認めず、抗告人ら五名を容赦なく同日収容した。

五 右は憲法第三二条の裁判を受ける権利を実質的に侵害するもので、現在の拘束は憲法違反である。

六 よつて、抗告人らは、収容部分の停止をも求めるため、本抗告に及んだ。

別紙(二)

意見書

第一相手方の意見書について

一 同書第一項は争う。その理由は抗告人の昭和六一年(行ス)第二〇号についての昭和六一年一〇月三一日附意見書を援用する。

二 同書第二項1は否認する。

三 同1(一)(二)相手方指摘の法条の存在することは認めるが其の趣旨は争う。

第二抗告人の主張

一 学説も「執行停止の積極的要件たる『回復の困難な損害を避けるための緊急の必要』の判断は、二つの消極的法定要件の判断と一体性をもたざるをえないのであるが、このことをふまえつつ、『回復の困難な損害に関する近時の裁判例の一般的な傾向としては、これを比較的ゆるやかに解する傾向にある』と言われる。たとえば金銭賠償が可能であつてもそれでは補償されえないと見られる著しい損害は、ふくまれると解されている。また、外国人にたいする退去強制等入国管理処分にたいする停止決定例はますます数多くなり、その際、本国送還される等とりかえしのつかない場合だけでなく、収容についても『社会通念上回復が容易でない損害であれば足りる』という考え方が採られるようになつている。」(行政手続・行政争訟法杉村敏正、兼子仁共著、現代法学全集11、筑摩書房、三三六頁)としており、判例も同旨である。「札幌高決昭四二・九・二五行裁例集一八巻八・九号一二一一頁。同旨、東京高決昭四四・一二・一、同昭四五・三・二五など」

二 相手方が疏明する最高裁判決は昭和五四年一〇月二三日になされたもので、抗告人が援用する「在日韓国人の特殊な歴史的背景を考慮し、その法的地位及び待遇改善問題について、首相は引き続き努力する旨述べた」との日韓共同声明はそれ以後である昭和五九年九月六日になされた(疏甲第三三号証)のであるから、右判決の趣旨は少なくも韓国人に対しては維持されるべきではない。何故ならば裁量権ある法務大臣は在日韓国人の法的地位及び待遇の改善に努力すべき旨約した首相の行政方針に制約されるのが当然である。

詳細については昭和六一年(行ス)第二〇号昭和六一年一〇月三一日附当方の意見書を採用する。

三 相手方の意見書二―一で主張する上陸の手続を経ることなく本国に在留することとなる外国人には少なくも抗告人梁龍孝、同梁智恵美、同梁由理は日本で生れ、日本で育ちつつある幼児であるから該当しない。

四 従つて、国際人権規約B規約第二四条「すべての児童は人種、皮膚の色、性、言語、宗教、民俗的又は社会的出身、財産又は門地に関する差別なしに、未成年者としての地位に必要とされる保護措置を受ける権利を家、社会及び国に対して有する」のであるから、日本国に対し全く未知の国へ送られるための収容からの保護請求権を有するのである。

別紙(三)

第二意見書

第一相手方提出の決定(疏乙第五二号証)について

(イ) 事案が相違する。

1 本人らの父母弟妹がソウル又は済州市内で夫々タイル販売又は海産物卸商を営なみ、平穏に生活している。

2 本人らは健康である。

3 本人らは二度目の不法入国である。

が本件の場合、本人らの父母弟妹は送還予定地である済州には居住せず、梁三鉉はてんかん、痔で、李永順は子宮外妊娠手術後の疼痛があつても医薬が受けられないでいること、始めての不法入国であるなど事案を異にする。

(ロ) 日韓の特殊関係について本人らは主張していない

1 一九八四年の日韓共同声明や中曽根首相が藤尾文相の日韓関係の発言について同文相を馘首して、訪韓し、全大統領に陳謝したことなどに明示された対韓姿勢に法務大臣の裁量権も制約されることは国民に明らかである。

2 即ち、日韓併合時代の武断政治、土地の収奪、労働者慰安婦等の強制連行、関東大震災に際しての朝鮮人の大量虐殺など韓国人は学校教育や父母の話等で知悉した上に礎かれた対日国民感情を有するので、在日韓国人の人権問題についても特別の配慮を払うのがその長である首相によつて示された行政方針である。

3 尚、大阪、済州島間には大正時代から定期船が往来し、済州道人が大阪に行くことについて、一般外国人が不法入国する場合と異なつた軽い気持が長い間に醸成されて来た歴史的背景も考慮すれば本件の場合本人らの退去を強制するのは人道に欠け酷に過ぎるものである。

第二李永順の病気について

本人は大村収容所には婦人科医がいないと思つて、その痛苦を訴えていなかつたものであるが、専門医の診療、治療が必要である。

別紙(四)

第三意見書

(便宜上、大阪入国管理局を「入管」梁三鉉、李永順を「本人ら」と略称する。)

一 日本と済州島との関係

1 神話時代

済州島の建国神話は、三神人が日本国から来た三王女と婚姻して建国したとしている。(疎甲第四三号証)

こんな神話があることによつて、古来日済間に人々の往来が頻繁で、日済の人々が血縁関係にあることが伺われる。現に済州島人はその風貌が日本人に酷似していて、日本人と見分けがつかない者が多い。

2 大正、昭和初期

一九二二年、尼ケ崎汽船の大阪・済州島直通航路の開始、さらに一九二四年には朝鮮郵船が就航し、一九二七年には一カ年乗客者数は実に三万六千余名に達した(疏甲第二五号証、「異邦人は君ケ代丸に乗つて」二二〇頁)

3 昭和九年当時

全島民の二五%が日本へ渡来し、労働可能の年令層の人々の大半は日本に渡つて来ていたと推定されるのである。(同書一〇一頁)

4 韓国からの不法入国者六〇一名中、済州島からは五〇五名を占めている。(疏甲第四四号証出入国管理の回顧と展望一四五頁)

5 そして韓国の全人口は約四千万人であるから不法入国者は約四十万人の中、一人になるが、済州島の人口は約三十五万人である(疏甲第二五号証の八六頁)から約〇、七%を占め、その比率も済州島人が異常に高い。

6 これは済州島が東西七十三キロメートル、南北四十一キロメートルの楕円型の島型を有し、その面積は日本の香川県にほぼ匹敵する。島の中央に千九百五十メートルの漢拏山がそびえ、山腹から裾野にかけて三百あまりの寄生火山がある。島の農産物はアワ、麦、ソバ、米などで、水産業は半農半漁の兼業者が多く、(前同書八六頁)他の産業発達の餘地がなく、辛うじて観光地として生き残ろうと努めていて、鞄製造業など工業の成り立つ余地は存在しない現状である。

7 右地理的条件に加えて、日本人の血を承けた済州島人はその帰趨本能として、鮭が海で成長して自分の生まれた川へ遡つて来るようにその五体に流れる日本人の血が本能的に日本を恋い慕つて、危険を冒して密入国をする心情は察するに餘りあるものがある。

二 法務省入国管理局自身も「出入国管理行政は、外国人の人権に深いかかわりを有する業務であるので、個々の事案の処理においても外国人の人権の尊重を念頭におき、いやしくも国際人権規約違反という非難を受けることのないように制度を運用していかなければならないことはもち論のことである」(疏甲第四四号証二一九頁)としているのであつて本件における入管の立論は此の趣旨に背馳するものである。

三 以上の点を従来の主張に加えて本人らの心情を御憫察を賜わり、一日も早く自由の身になつて本訴の結果を待てるよう御配慮を願うものである。

別紙(五)

意見書

意見の趣旨

抗告人らの本件各抗告をいずれも棄却する。

抗告費用は抗告人らの負担とする。

との決定を求める。

意見の理由

本件抗告の申立ては、以下に述べるとおり、理由がないことが明白であるから、速やかに棄却されるべきである。

一 そもそも、原審昭和六一年九月一七日付け意見書第三及び被抗告人が申立てた即時抗告事件である御庁昭和六一年(行ス)第二〇号即時抗告の申立書「抗告の理由」一で被抗告人が詳述したように、本件本案訴訟が行政事件訴訟法(以下「行訴法」という。)二五条三項の「本案について理由がないとみえるとき」に当たることは明らかであり、また、本件の執行停止が同項の「公共の福祉に重大な影響を及ぼすおそれがあるとき」に当たることも右意見書第五及び右即時抗告の申立書「抗告の理由」三で述べたとおり明らかであるから、本件抗告の申立ては、既にこの点において理由がないことは明白である。

二1 抗告人らは、抗告の理由一、二において「抗告人梁龍孝、同梁智恵美、同梁由理の三名は幼児であり、大村収容所での長期間の収容が同人らの心身の発育を著しく阻害し、殊に梁龍孝につき就学の機会を奪う」旨、また、「抗告人梁三鉉は鞄製造業を長期間休業することによって得意先の喪失その他営業上の損失は計り知れない」旨主張し、退令に基づく収容部分の執行により「回復困難な損害」が生じるとして、その執行停止を求めているものであるが、右主張は、以下に述べるとおり退令に基づく収容(以下「退令収容」という。)の目的を正解しない失当なものである。

(一) 退令収容は、単に強制送還のための身柄の確保をはかるのではなく、退令発付によつて本邦在留の法的根拠(在留資格)を有しないことが確定した外国人を隔離し、その在留活動を禁止することにある。

すなわち、本邦において在留活動を認められる外国人は、出入国港において出入国管理及び難民認定法(以下「法」という。)の定める上陸の手続を行い、入国審査官等により在留資格及び在留資格に対応する在留期間を付与されるが、上陸の手続を経ることなく本邦に在留することとなる外国人は、法務大臣に対し在留資格の取得の申請をして在留資格及び在留期間を付与されるか、あるいは、法第五章に定められた一連の退去強制手続を受けた後、法務大臣により在留を特別に許可された場合に限られるのである。右許可にあたつては、外国人に許容される活動範囲を限定するため、在留資格が決定、付与され(法九条三項、四条)、外国人は与えられた在留資格に属する活動のみが許され、それ以外の活動に従事しようとするときには、予め在留資格変更許可(法二〇条)、あるいは資格外活動許可(法一九条二項)を受けなければならず、また、定められた在留期間を越えて引続き在留しようとするときには、その在留期間満了前に在留期間更新許可を受けなければならない(法二一条)。右のような許可を受けることなく在留資格以外の活動に従事し、あるいは、その在留期限を越えて在留すれば処罰され、又は、退去強制の対象となるのである(法二四条四号イ及びロ、法七〇条四号及び五号、七三条等)。

したがつて、退令を発付された外国人は、すみやかに法所定の送還先に送還されることになるが(法五二条三項)、送還部分に限つた執行停止決定がなされたり、被送還者受入国の都合等により当該外国人を直ちに本邦外に送還することができないときに限り送還可能のときまで、その者を入国者収容所等に収容することとなつているのであり(法五二条五項)、たとえ仮放免を許可される場合(法五四条)であつても本邦での在留活動は制限的に認められるにすぎない。

法律上外国人に対しこのような厳重な在留規制を行つているにもかかわらず、退令被発付者からの退令執行停止の申立てに対し、その収容部分までの執行停止を認めることは、法による規制から全面的に解放することを意味し、本邦での規制のない在留を認めることとなるのである。

ところで、外国人の入国及び在留を許可するかどうか、許可する場合でもいかなる条件で許可するかは国家固有の権能に属し、特に条約で取決めのないかぎり国家はこれを自由に決することができるというのが国際法上の大原則であるが、その許否のための手続は、既に述べたとおり、法律により厳格に規定されている。これは、一旦外国人の入国、在留を許可すれば、在留資格、在留期間による規制を受けるとはいえ、通常予想される日常活動はもちろんのこと、財産の取得、契約の締結等により事実上及び法律上の関係を我が国の国民を含む第三者と結び、日々その関係を深め発展させて行くのであるから、外国人一人の入国と言えどもその本邦社会への影響は軽視すべからざるものがあるからであり、国(行政機関)は常に重大な責任を国民に対し負つているのである。

しかるに、退令に基づく執行のうち、その収容部分までをも行訴法二五条二項により停止することは、法による外国人在留管理行政の根幹たる在留資格制度を混乱させるものであつて、正に行訴法二五条の定める執行停止制度の濫用となるものというべきである。

(二) さらに、行政処分の執行により発生する損害が、行政処分の根拠法たる法律がその処分の執行につき通常発生するものとされる範囲内のものである限り、受忍限度内のものとして行訴法二五条二項にいう「回復困難な損害」に当たらないというべきところ(緒方節郎「行政処分執行停止」裁判法の諸問題上七〇五ページ)、抗告人らの主張する事由は、いずれも退令収容に伴い通常随伴して発生する範囲内のものであるから、右「回復困難な損害」に当たらないことは明白である(大阪高裁第九民事部昭和六一年(行ス)第一号事件・昭和六一年六月二六日決定)。

すなわち、抗告人らが教育上、保育上の不利益をいう点については、退令収容が実際に人格形成等に如何なる影響があるかは現在のところ不明確であり、たとえ影響が若干あるとしても保育、教育というものの性質上、その影響は、長期的視野に立つて見た場合に判断し得ることであるから、時間的にその発生が切迫したものとはいい難く、したがつて、抗告人らが、退令収容により受ける教育上、保育上の影響は仮にあるとしても退令収容に通常随伴して発生する範囲を超えるものではなく、行訴法二五条二項が規定する「回復困難な損害」には当たらないというべきであり、それを避けるための「緊急の必要性」は存しないからである。

また、抗告人らの主張のうち、営業上の損失をいう点については、抗告人らのような不法入国、不法残留者が本邦において、いかなる社会的経済的地位を得ていようとも、それらは所詮不法入国、不法残留という違法行為から出発し、これを基礎に積み重ねられたものであり、早晩清算を余儀なくされることが当初から客観的に予定されているものであるから、何ら法による保護を受ける性質のものではなく、この意味でも右主張は失当である。

(三) なお、付言するに、大村入国者収容所は、通常年三回本邦から韓国へ不法入国者等を集団送還するにつき、その身柄の確保及びその間の在留活動を禁止するために設けられた施設であることから、専門教師による未成年者に対する学校教育が行われていないことはむしろ、当然という外ない。しかして、同所は、矯正施設とは異なり、教科書、参考書、学用品の購入、所持は自由であり、親族等による教育を行うことはでき、居室は夜一〇時から朝七時までの時間帯を除き扉は開放されていて自由に他の居室、娯楽室、売店、中庭等に往来できるのであつて自主的な勉強は十分に行うことができるのである(大村入国者収容所における処遇の詳細は、疎乙第四七号証のとおりである。)。

2 また、抗告人らは、抗告の理由三において、「抗告人李永順は三児の母として保育に欠くことができない者であり、かつ婦人病が収容所の冷えにより悪化する状況である」旨主張するが、大村入国者収容所には男子棟、女子棟の区別はあるものの母親の監護、保育を必要とする子供については母親と一緒に生活させることとなつており(疎乙第四八号証)、抗告人梁龍孝ら三名も母である抗告人李による保育を受けているのである。また所内にはスチーム暖房の施設があり、冬期になれば室内は暖房されるのであるから、気温低下による病気の悪化は考えられない。さらに、必要ならば湯タンポを貸与している(疎乙第四八号証)ので抗告人らの右主張はいずれも失当である。

加えるに、抗告人李の婦人病とはどんな病気のことか不明であるが原審主張の子宮外妊娠のことだとすると、これは昨年九月六日に子宮外妊娠により入院し左卵管切除術を行い同月一九日退院した後医療機関において診療を受けたこともないのであり(疎乙第四五号証)、仮に、右病気が原因で何らかの発病がみられたとしても同収容所には診療室があり、そこでは医師二名(うち一名は非常勤歯科医)、薬剤師一名及び看護婦二名が勤務しているので診療を受けることが可能であり、病状によつては、近くの大村市立病院(徒歩五分)、国立長崎中央病院(車で一〇分)等外部の医師の診療を受けることが可能であり(疎乙第四八号証)、被収容者の疾病に対しては何ら危惧すべき事情はない(ちなみに抗告人李は、大村入国者収容所に入所以降も婦人病について担当医に訴えていないのである―疎乙第四九号証)。

3 さらに、抗告人らは抗告の理由四、五で「抗告人らが、本案訴訟及び行政処分執行停止申立てをなしたとの理由で仮放免期間延長を認めず収容した」旨主張するが、抗告人らの収容は、本年九月二五日の仮放免期間の満了後、既に各自に対し発付されていた退令の執行をすることにより行われたものであつて、抗告人ら主張のように「裁判をなしたとの理由」でないことは明らかである。

なお、付言するに、主任審査官は、右同日付けの抗告人らからの仮放免許可申請を不許可としているが仮放免の許否は、その自由裁量に委ねられているものであり(法五四条)、仮放免許可申請に対する前記各仮放免不許可処分は、その申請の理由及びその他請求者各自の個人的事情、すなわち、帰国のための家事整理のために必要と思われる期間が経過しその事由もなくなり、また、抗告人らについていずれも収容することに支障となる事由も見当たらず、本年一一月末に予定されている集団送還の先行手続である送還者引取のための領事面接(本年一〇月二一日実施)も迫つており、かつ、医療上必要があれば大村入国者収容所においても必要な治療は受け得る等の諸事情を総合的に考慮した上、その裁量判断の結果としてなされたものであるから、違法を云々する余地が存しないことは明らかである(東京地裁昭和五一年一二月一三日判決・訟務月報二二巻一三号二九五五ページ)。

さらに、抗告人らの前記訴訟には訴訟代理人が選任されており、抗告人らは右代理人を介し訴訟を追行することは可能であり、大村入国者収容所の被収容者の処遇については、法に基づき被収容者処遇規則が定められており、被収容者と弁護士との面接は自由にこれを行い得るのであるから(同規則三三、三四条)抗告人らの収容によつても何ら実質的に裁判を受ける権利を侵害するものでないことはこれまた明らかである。

別紙(六)

即時抗告の申立書

(抗告の趣旨)

一 原決定主文中、第一項(退去強制令書に基づく送還部分の執行を停止した部分)を取り消す。

二 本件申立て中、抗告人が相手方らに対し昭和六一年六月二七日付けで発付した退去強制令書に基づく各執行のうち本案(大阪地方裁判所昭和六一年(行ウ)第五三号)の第一審判決言渡しまで送還部分の執行停止を求める部分を却下する。

三 本件申立費用及び抗告費用は相手方らの負担とする。

との裁判を求める。

(抗告の理由)

原決定は、本件退去強制令書(以下「退令」という。)に基づく執行をその送還部分に限り本案の第一審判決言渡しまで停止する旨の決定を行つたものであるが、右決定は、退令に基づく執行を停止したことにおいて不当であるから容認し得ないものであり、抗告人は、抗告の理由として原審における意見書を援用するほか、次のとおり主張する。

一 原決定は、自由裁量処分に対する司法審査方式及び違法判断基準についての解釈を明らかに誤つたものであり、本件執行停止の申立ては、「本案について理由がないとみえるとき」に当たるものである。

1 国家は、条約等特別の取決めの存しない限り、外国人に対しその入国及び在留を許可するかどうかを自由に決することができ、その反面として、外国人は当該所属国以外の国家に対しては、入国及び在留の権利を有するものでなく、このことは国際慣習法上の大原則として認められているところである(意見書掲記の最高裁昭和三二年六月一九日判決・刑集一一巻六号一六六三ページ、東京高裁昭和三二年一〇月三一日判決・行裁例集八巻一〇号一九三〇ページ、最高裁昭和三四年一一月一〇日判決・民集一三巻一二号一四九三ページ参照)。

我が国における出入国関係を規律する法としては出入国管理及び難民認定法(以下「法」という。)が存在するが、同法も右の国際慣習法を前提として定められているのであつて、その入国及び在留に関する処分は、原則として自由裁量処分であることは多言を要しない。

2 法五〇条所定の在留特別許可(以下「特在許可」という。)も法務大臣の自由裁量により決せられるものであることは、法の性格及び法五〇条の規定にも何らの制限が付せられていないことからして明らかであつて、この点は判例上も確立しているところである。

特に、特在許可は、外国人の出入国に関する処分であり、当該外国人の在留状況等の個人的事情のみならず、公安、衛生、労働事情等の国内事情及び国際情勢、外交政策等の対外的事情が総合的に考慮されるものであることから、同許可の裁量の範囲は極めて広範囲にわたることとなる。

また、特在許可は、退去強制事由に該当することが明らかであつて、当然に本邦からの退去を強制されるべき者に対し、特に在留を認める処分であることから、他の一般の行政処分とは異なり恩恵的措置としての性格をも有していることを重視すべきである。

3 そして、右のような自由裁量行為の裁量権行使についての司法審査は、「一応、処分権限を与えられた行政庁の自由に任されているものなどであるから、裁判所は、右のような行為について裁量権の逸脱、濫用により違法となるかどうかを判断するにあたつては、処分をした行政庁と同一の立場に立って当該具体的事案について裁量権の行使はいかにあるべきかを判断し、その判断の結果を行政庁の判断に置き代えて結論を出すことは許されず、あくまでも、それが行政庁の裁量権の行使としてされたものであることを前提として、その判断要素の選択や判断過程に著しく合理性を欠くところがないかどうかを判断すべきものであることは当然である。」(越山安久・最高裁判所判例解説民事編昭和五三年度四四五ページ)と解されており、これが確定した最高裁判例でもある(最高裁昭和五二年一二月二〇日第三小法廷判決・民集三一巻七号一二二五ページなど)。

右法理は、法五〇条一項三号の特在許可の付与に関する法務大臣の自由裁量行為の裁量権の行使についても当然に当てはまるものというべきである。すなわち、法が特在許可の付与を法務大臣の自由裁量に委ねることとした趣旨が、前述のとおり特在許可の許否を的確に判断するについて、多面的専門的知識を要し、かつ、政治的配慮もしなければならないとすることによるものであることからすると、その判断は、国内及び国外の情勢について通暁し、常に出入国管理の衝に当たる者の裁量に任せるのでなければ到底適切な結果を期待することができないからであり、それゆえ、裁判所が法務大臣の裁量権の行使としてなされた特在許可の許否の決定の適否を審査するに当たつては、法務大臣と同一の立場に立つて右特在許可をすべきであつたかどうか又はいかなる処分を選択すべきであつたかについて判断するのではなく、法務大臣の第一次的な裁量判断が既に存在することを前提として、右判断が社会観念上著しく妥当性を欠いて裁量権を付与した目的を逸脱し、これを濫用したと認められるかどうかを判断すべきであるものというべく、しかして右逸脱、濫用したものと認められる場合でない限り、その裁量権の範囲内にあるものとして、違法とならないものというべきである。

4 また、特在許可の裁量権の範囲を考えてみるに、前述のとおり同許可は自由裁量処分であるから、この点だけを考慮するにしてもそれが裁量権の範囲の逸脱又はこれを濫用したとして違法との評価を受けることは稀であるといえるが、更に特在許可は、前述のとおり、その考慮されるべき対象自体が個々の外国人の個人的事情に加え国際情勢及び外交政策等の客観的事情等広い範囲に及んでおり、それに伴い右裁量の範囲も極めて広範囲にわたつていること、また特在許可自体恩恵的措置としての性格を有していることを併せ考えると、それが違法との評価を受けるのは、ますます限定的に解されることとなるのである。

この点に関連して最高裁昭和五三年一〇月四日大法廷判決(民集三二巻七号一二二三ページ・マクリーン最高裁判決)は、在留期間を一年とする上陸許可の証印を受けて本邦に上陸した当該原告がその後一年間の在留期間の更新を申請したところ、法務大臣は一二〇日間の在留期間の更新を許可したので、当該原告はその後更に一年間の在留期間の更新を申請したが、法務大臣は右更新を適当と認めるに足りる相当な理由があるものといえないとして右更新を許可しないとの処分をしたので、右処分の取消しを求めた事案であるが、右判決において最高裁は、出入国管理令(注、現在は法)二一条三項の法務大臣が外国人の在留期間の更新を許可するかどうかの裁量権について「裁判所は、法務大臣の右判断についてそれが違法となるかどうかを審理、判断するに当たつては、右判断が法務大臣の裁量権の行使としてされたものであることを前提として、その判断の基礎とされた重要な事実に誤認があること等により右判断が全く事実の基礎を欠くかどうか、又は事実に対する評価が明白に合理性を欠くこと等により右判断が社会通念に照らし著しく妥当性を欠くことが明らかであるかどうかについて審理し、それが認められる場合に限り右判断が裁量権の範囲をこえ又はその濫用があつたものとして違法であるとすることができるものと解するのが相当である。」と判示している。

このような観点から法五〇条一項三号の法務大臣の特在許可の付与についての自由裁量権の範囲についてみてみると、外国人の在留期間の延長は憲法上保障されたものではないにしても、当該外国人は、当初適法に在留していた場合であり、また、在留期間更新の申請権も認められているのに対し、特在許可の付与が問題となるのは通常の場合、当初から違法に在留している不法入国者に関してであり、それらの者については特在許可の申請権も認められていないのであり、また、法文上も在留期間の更新について定めた法二一条三項は、「在留期間の更新を適当と認めるに足りる相当の理由があるときに限り、これを許可することができる。」とするのに対し法五〇条一項三号は、「特別に在留を許可すべき事情があると認めるとき」特別に許可することができると規定している。

このように、被処分者の権利・利益の点からみれば、在留期間更新の場合の外国人の方が特在許可の場合に比して法律上はより保護されており、また、法文上も在留期間の更新を認め得る場合について、特在許可を認め得る場合に比してより緩和して規定しているものということができることからすると、法務大臣の特在許可の付与についての自由裁量権の範囲は、在留期間の更新の場合の法務大臣の裁量権よりも広くそれゆえ裁判所の審査の及ぶ範囲は狭くなるというべきである。

そうすると、法務大臣の特在許可についての裁量権の行使が裁量権の範囲をこえ又はその濫用があつたものとして違法となるのは、前記在留期間の更新に関する最高裁の示した基準より更に限定されることは明らかであるから、法務大臣の特在許可についての裁量権行使が違法となるかの判断に当たつては、最高裁昭和五三年一〇月四日大法廷判決の示した「法務大臣の判断が裁量権の行使としてされたものであることを前提とすること」「右判断の基礎とされた重要な事実に誤認があること等により右判断が全く事実の基礎を欠くかどうか」「事実に対する評価が明白に合理性を欠くこと等により右判断が社会通念に照らし著しく妥当性を欠くことが明らかであるかどうか」との基準を少なくとも違法となる最大限の場合として、それよりも限定して解釈すべきであると思料する。

5 原決定は、法務大臣の特在許可についての裁量権が「広汎な自由裁量に属する行為であり、それが裁量権の濫用あるいはその範囲の逸脱があるとして違法とされるのは、その判断の基礎とされた重要な事実に誤認があること等により、判断が全く事実の基礎を欠くとか、事実に対する評価が明白に合理性を欠くこと等により、右判断が社会通念に照らし、著しく妥当性を欠くことが明らかであるというような例外的場合に限られる」として一応正当に解しているのであるが、本件については、〈1〉「特在許可の判断の基礎となる事実は、事柄の性質上、広汎にわたり、かつ変動しうる要素をも持つものであつて」、〈2〉「そのような事実を基礎づける資料の収集を簡易、迅速な疎明手続の中で完全になすことには限界があると考えられること」、〈3〉「その事実に対する評価の合理性、妥当性という点も微妙な総合的判断にかかる事柄であつて、必ずしも一義的な判断基準があるわけではないこと」、〈4〉「不法入国者とはいえ一〇年以上もの長期間本邦に居住して非行もなく平穏に稼働し、生活基盤を築いてきた申立人三鉉、同李らに対する人道上の見地や裁判を受ける権利の実質的な保障という観点をも加味すれば、やはりこの点に関しては、本案訴訟手続による慎重な判断が望ましいと考えられること」などの諸点を考慮すれば、現段階において、本件裁決及びこれを前提とする本件令書発付処分について、本案の理由審査の余地が全くない程に、申立人らの主張する瑕疵が存しないと判定するのは相当でないと考えられるとして、本件執行停止の申立てが「本案について理由がないとみえるとき」に当たらないと判示している。

しかしながら、右判示部分は、大きく分けて次の二点において重大な誤りを犯しているということができる。すなわち、

(一) 原決定は、法務大臣の特在許可についての裁量権の範囲及びその行使が違法とされる場合の一般論については正解しているにもかかわらず(最高裁昭和五三年一〇月四日判決参照)、それに続けて判示する右〈1〉ないし〈4〉の摘示は、自由裁量行為の違法性判断の指針として示された最高裁昭和五二年一二月二〇日判決の趣旨に反し、かつ、右法務大臣の裁量権の範囲等に関する判示部分とも全く矛盾する失当なものである。

(1) 右〈1〉ないし〈4〉に摘示されるところは、特在許可の違法性を判断する場合、法務大臣が当該判断をするに当たつて基礎とした事実のすべて、又は相当部分が、司法審査の場においても同様にその判断の前提として手続上明らかにされなければならないとするものであつて、これは法務大臣の裁量権の行使としてされた判断を無視し、裁判所独自の立場から、いわば裁判所が法務大臣と同一の立場に立つて当該事案において特在許可をすべきであつたかどうかを審査しようとするものであるといわざるを得ない。そうすると、右判示部分は、自由裁量行為の違法性判断の指針として示された前掲最高裁昭和五二年一二月二〇日判決の趣旨に反することはもちろん、原決定が法務大臣の特在許可に関する裁量が違法とされる場合として掲げる要件、すなわち、「法務大臣の判断の基礎とされた重要な事実に誤認があること等により、判断が全く事実の基礎を欠くとか、事実に対する評価が明白に合理性を欠くこと等により、右判断が社会通念に照らし、著しく妥当性を欠くことが明らかである」というような例外的場合であるとするところと大きく矛盾するのである(すなわち、右例外的場合に当たるかどうかの審査、判断は、右例外的場合に当たるとする事実の存否を審査の対象とすれば足り、原決定が摘示するような法務大臣が当該判断をするに当たつて基礎とした事実のすべて又は相当部分が裁判所に提出される必要はない。)。

また、仮に、原決定の立場に立つた場合、行政事件訴訟法(以下「行訴法」という。)上の執行停止手続においては、法上公共の福祉を代表する者として出入国管理上の広範な自由裁量権を有する法務大臣の権能が全く否定され訴訟手続上重大な不利益を被ることとなるばかりか(現に原決定はこの結論を当然のこととして是認している。)、法が出入国の公正な管理を行わしめるべく法務大臣に対し与えた自由裁量の権能を同権能行使の前提として定められている法上の手続を含め、否定し去ることとなり許されるものではないことは明白である。

(2) さらに、原決定が摘示する右〈1〉ないし〈4〉の諸点は何ら原決定の結論を支持するものではなく、これを理由とすることは失当である。

まず、原決定は、〈1〉特在許可の判断の基礎となる事実は、事柄の性質上、広汎にわたり、かつ変動しうる要素をも持つものであるとする。確かに右の指摘はそのこと自体をとらえたならば誤つているとはいえないが、裁判所が法務大臣の特在許可についての裁量権の行使が違法であるかどうかを判断するに当たつては、広汎にわたる特在許可の判断の基礎となる事実をすべて審査する必要はなく、法務大臣の判断が存在することを前提としてそれが社会通念に照らし、著しく妥当性を欠くことが明らかな例外的な場合であるかを審理、判断すれば足りるのであるから、「特在許可の判断の基礎となる事実は、事柄の性質上、広汎にわたる」ことを理由として、更に本案審理が必要であると結論付けるのは失当である。

また、特在許可の判断の基礎となる事実が変動しうる要素を持つものであるとして、更に本案審理が必要であるとするのは全く理由がない(もつとも、右の点をいかなる意味において判示するのか定かではないが、ここでは口頭弁論を経るうちに事情も変るであろうということを予測しての判示と考えて論を進める。)。すなわち、執行停止の申立てを受けた裁判所に課せられた任務は、現時点において、法務大臣の特在許可に関する裁量権の行使が前述のような違法とされる例外的場合とされる余地があるかどうかを判断すれば足りるのであつて、将来に発生するかどうかも分らない事実を想定し、その発生の有無をみるために本案審理が必要であるとすることは到底許されることではないし、右の点を理由とする原決定の右判示部分は誤りであることが明白である。

次に、原決定は、〈2〉そのような(特在許可の判断の基礎となるような。抗告人指定代理人注)事実を基礎づける資料の収集を簡易、迅速な疎明手続の中で完全になすことには限界があると考えられるとする。

しかし右判示部分は、前述のところから明らかなように収集すべき資料の範囲に関する判断が誤つていることから、まずその前提において誤つた判示であるというべきである。また、右判示部分は、行訴法二五条四項が同条二項の決定は疎明に基づいてすると規定することによつて、簡易な立証方法により執行停止の要件が立証される限り、申立人の権利、利益保全のため暫定的措置をとるとしたことと矛盾するものであるし、加えて法務大臣の裁量権の行使を違法ならしめるような重要な事実で、簡易な立証方法によつてさえ収集し得ない資料がはたして存するかは大いに疑問であるというべきである(ちなみに、本件相手方らはそのような事実が存在することの示唆さえもしていないことを重視すべきである。)。

よつて、右の点をとらえて本件について更に本案審理を尽す必要があるとすることは失当である。

さらに、原決定は、〈3〉その事実に対する評価の合理性、妥当性という点も微妙な総合的判断にかかる事柄であつて、必ずしも一義的な判断基準があるわけではないとする。

しかし、右判示部分は、先に述べたごとく裁判所が法務大臣の裁量権の行使としてされた判断の存在することを無視し、自らが法務大臣と同一の立場に立つて相手方らに特在許可を付与すべきであつたかどうかを審査しようとするがゆえに出るところであつて、それが誤つたものであることは前述のとおりである。

最後に、原決定は、〈4〉不法入国者とはいえ一〇年以上もの長期間本邦に居住して非行もなく平穏に稼働し、生活基盤を築いてきた申立人三鉉、同李らに対する人道上の見地や裁判を受ける権利の実質的な保障という観点をも加味すれば、やはりこの点に関しては、本案訴訟手続による慎重な判断が望ましいとする。

しかし、右判示部分は、法に対し事実を適応することによつて判断をなすという裁判所の任務に反し、相手方らについて本案審理を受けさせるのかどうかの単なる政策的判断をしているものというべきである。すなわち、裁判所が右に指摘する相手方三鉉、同李らが「不法入国者とはいえ一〇年以上もの長期間本邦に居住して非行もなく平穏に稼働し、生活基盤を築いてきた」との事実をとらえる(原決定が具体的事実として掲げるのは唯一この点のみである。)のであれば、右事実が原決定の判示する法務大臣の「判断の基礎とされた重要な事実に誤認があること等により、判断が全く事実の基礎を欠くとか、事実に対する評価が明白に合理性を欠くこと等により、右判断が社会通念に照らし、著しく妥当性を欠くことが明らかであるというような例外的場合」に当たるかどうかを判断すべきであるところ、右事実をもつて右例外的場合に当たるなどとは到底断ずることができない(この点については後述するところから明らかである。)ことが明白であるにもかかわらず、右判断を避け単に「人道上の見地や裁判を受ける権利の実質的な保障という観点」という極めて抽象的な文言のもとに本案訴訟手続による判断が望ましいと判示しているにすぎないのである。加えて、相手方三鉉らが仮に一〇年以上本邦に居住し非行もなく平穏に稼働し、生活基盤を築いてきたとしても、抗告人が従来主張し来たつているごとく、右状態は違法の上に築かれたものであつて、いずれ清算を余儀なくされるものであるし、相手方らはそれを十分認識して生活して来ているのであるから、ここで右状態を清算し強制送還されたとしても、何ら人道に反するなどと批判されるべきところでないし、また、申立人らは既に弁護士である訴訟代理人を選任して訴訟活動を行つているのであるから、ここで強制送還されたとしても名実ともに裁判を受ける権利を侵害するおそれさえ存しないのである(もつとも、裁判を受ける権利に関する右判示部分がいかなる意味においていわれるものか必ずしも明確でないが、これが強制送還後訴えが取下げによつて終了することを避けんがためにいうものであるとするならば、右判示は、裁判を受ける権利の意義を正解しないものといわざるを得ない。すなわち、裁判を受ける権利は、裁判所に提訴して法的判断を求める意思を有する者にのみ保障されるものであり、その意思を有さない者又はそれを失つた者にまで保障されるものでないことを銘記すべきである。)。

(3) 以上述べたところから明らかなように、右〈1〉ないし〈4〉の点を掲げて「本案の理由審査の余地が全くない程に、申立人らの主張する瑕疵が存しないと断定するのは相当でない」とした原決定の判示は失当、かつ、理由がない。

(二) 原決定は、「現段階において、本件裁決及びこれを前提とする本件令書発付処分について、本案の理由審査の余地が全くない程に、申立人らの主張する瑕疵が存しないと断定するのは相当でないと考えられる」としているところからすると、「本案について理由がないとみえるとき」についての疎明(立証)責任(以下「疎明責任」という。)を抗告人に負わせているものと解せられるが、右判示は、自由裁量処分における疎明責任の判断を誤つた失当なものである。

(1) 行訴法二五条三項所定の「本案について理由がないとみえるとき」とは、本案について理由がないことが明白であるときがその類型の一として挙げられるところであるが、これに限るものではなく、「処分が一応適法で申立人の全疎明によつても違法であるとすることができないとき」もその類型として一般に認められており、右後者の場合において、「被申立人によつて処分の適法要件が具備されていることが疎明されると、その処分は『一応公共の福祉に合致するものというべきであるから』申立人において処分が適法でないこと又は処分が違法であることを疎明しない限り、処分が違法ではないとの疎明があつたことになる」のである(緒方節郎「行政処分執行停止」裁判法の諸問題上七〇五ページ)。

(2) 右に述べたところから「本案について理由がないとみえるとき」の疎明責任についての一般的な考え方がうかがわれるところであるが、ここでは自由裁量処分との関係において右の点を検討する。本件本案訴訟の帰趨は、法五〇条所定の特在許可を与えなかつたことが裁量権の濫用ないし逸脱であるか否かということに関わるのである。しかして、自由裁量処分については、その処分が裁量の範囲を越え又は濫用があつたという点について原告が立証責任を負うことは判例、学説の一致するところである(最高裁昭和四二年四月七日判決、民集二一巻三号五七二ページ)。したがつて、本件本案訴訟においては、相手方(原告)らが裁量権の濫用ないし逸脱があつた事実を主張、立証する責任を負い、相手方らがこれを果さないときは相手方らが敗訴することになるのである。

このように、自由裁量処分の取消訴訟においては、原告において、行政庁の裁量権の行使について濫用があつたことを主張、立証しなければならないと解されており、これを主張、立証したときに初めて本案の請求が理由があるとされるのである。しかるに、執行停止申立手続において、もし行政庁が自由裁量処分の裁量権の行使に濫用がないことまで疎明しない限り、「本案について理由がないとみえるとき」と判断することができないと解するのであれば、行政庁は執行停止手続においてのみ本案訴訟の構造と明らかに逆の立場に立たされることになるのである。しかし、行政庁の処分は、それがなされることによつて直ちに効力を生ずるというのが現行法の建前であるときに、単に相手方から執行停止の申立てがなされたということで、本案訴訟の構造と逆の構造となる解釈をとらなければならない合理的理由がない。換言すれば相手方らは、本案訴訟においては裁量権の濫用ないし逸脱について立証しない限り、本案の請求が理由があるとされないのに、仮の救済手続においては本案訴訟の理由の存否についてなんら疎明することなく救済を享受することになるのであつて、これは明らかに不合理な帰結というべきである。

したがつて、自由裁量処分の取消請求を本案とする執行停止手続においては、本案の訴訟構造を右手続に反映させるべきであるから、相手方らにおいて裁量権の濫用があることを疎明し、もつて、「本案について理由があるとみえる」ことを疎明しなければならないと解すべきである。

(3) 本件申立手続においては、相手方らは自己に特在許可を与えないとした法務大臣の裁量判断を違法とする事由、すなわち右判断が全く事実の基礎を欠いてなされたものであるか、又はそれが事実に対する評価において明白に合理性を欠いているものであるか等により当該法務大臣の判断が社会通念に照らし著しく妥当性を欠いていることが明らかである旨を主張、立証することを要するところ、相手方らはこの点について何ら主張、立証していない。

(4) 以上、述べたところから明らかなごとく、相手方らが本案について理由があることを主張、立証しない本件においては、それを理由に本申立てが却下されるべきであり、これに反する原決定の右判示は失当である。

6 さらにすすんで、本件が「本案について理由がないとみえるとき」に当たることを明らかにする。

既に意見書中第一、第三及び補充意見書で詳述したように、相手方三鉉及び同李は本国で出生し、相手方三鉉は商業高等学校まで、同李は中学校までの教育を受け、相手方三鉉は二四歳、同李は一八歳で本邦に不法入国するまで本国で稼働していたものであり、右両名の不法入国の動機は単に出稼ぎの目的であつたに過ぎないこと、相手方李は、不法入国後の、昭和五〇年一〇月一五日、同居人が不法入国容疑で逮捕されるや、東京に逃げ同所において生活していたこと、相手方らには、本邦に扶養を必要とすべき係累はなく、かえつて本国に相手方らの親族がいること、相手方らは、七〇〇万円位の預金を有し、送還後本国で生活するのに特段の支障はないと考えられること、相手方三鉉はてんかん、同李は婦人病を訴えているものの、これらは何ら日常生活において支障があるものではなく、法務大臣による本件裁決がなされることを予知して、その送還を免れんがために診察を受けるに至つたものと推認し得ることなどの事情が認められるのであり、これらの事実を総合すると、相手方らに特在許可を与えなかつた法務大臣の判断には裁量権の逸脱ないし濫用がなかつたことは明白というべきである。

原決定は、「一〇年以上もの長期間本邦に居住して非行もなく平穏に稼働し、生活基盤を築いてきた」と述べ、あたかも右事実を本案について理由がないとみえると断定できない一資料としているかのようであるが、これは失当である。

なぜなら、先に述べたごとく潜在期間が一〇年以上であり生活基盤を築いてきたとしても、右状態は違法の上に築かれたものであつて、何ら法的保護に値しない、いずれ清算を余儀なくされるものであり(なお、不法入国者の潜在期間が一〇年以上に亙る例は決して稀ではない。)、いわんや右不法入国の違法性は歳月の経過により何ら治癒されるべきものではなく、また退去強制に値する不法入国でなくなることもないのであるから、何ら「本案について理由がないとみえる」かどうかの判断要素となりうるものではないのである。また、「平穏に」潜在していたという点にしても、およそ不法入国者は、その発覚をおそれ、「平穏に」生活しているものであり、この点も本件に特有のことではなく、むしろ、相手方李においては、昭和五〇年に遠戚の李熙根が不法入国容疑で逮捕されたことから、自らの不法入国事実の発覚をおそれて東京へ逃げたこと(原決定は、この事実について外形的事実は認定しているものの、右の逃走の経緯をあえて認定していない誤りがある。)からも明らかなように、決して、「平穏に」のみ居住していたわけではないのである。

7 以上の次第で、本件特在許可付与に関する法務大臣の裁量権の行使には何らそれを濫用し、その範囲を逸脱したとの違法は存しないことは明白であるから、本件執行停止申立ては「本案について理由がないとみえるとき」に当たるものとして却下されるべきであり、これについて誤つた判断をした原決定は取り消されなければならない。

二 原決定は、退令に基づく強制送還部分の執行により、相手方らにとつて回復困難な損害が生じ、それを避けるために緊急の必要性があると判示しているが、右判断は、以下に述べるとおり行訴法二五条二項の解釈を誤り、かつ、相手方らの不利益を過大に評価した誤りがあり、失当であるというべきである。

1 原決定は、強制送還が実施されると、「本案訴訟における訴えの利益が消滅して本案訴訟による救済を受けられないおそれが生じるし(法五条一項九号からすれば、本件令書発付処分の執行として本邦からの退去を強制されたことに付随する法律上の不利益も、退去の日から一年を経過することによつて消滅すると解され、少なくともこの時点では、訴えの利益は、確定的に消滅すると考えられる。)、また、仮に申立人らが本案訴訟で勝訴しても、申立人らが本邦在留の状態に戻ることができるか否かも明らかでない。そうすると、申立人らが韓国へ送還された場合、本案訴訟を提起した目的である本邦での適法な在留を得られない不利益を被るおそれがある」として、相手方らに回復困難な損害及びその損害を避けるための緊急の必要があると認めている。

しかしながら、この点に関しては、相手方らには訴訟代理人が選任されているのであるから、相手方らが本国に送還されたとしても本案訴訟を維持することは可能である。

さらに、この点につき、最高裁昭和五二年三月一〇日決定・判例時報八五二号五三ページは、「抗告人が本国に強制送還され、わが国に在留しなくなれば、みずから訴訟を追行することは困難となるを免れないことになるが訴訟代理人によつて訴訟を追行することは可能であり、また訴訟の進行上当事者尋問などのため抗告人が直接法廷に出頭することが必要となつた場合には、その時点において、所定の手続により、改めてわが国への上陸が認められないわけではないのである。」とし、さらに、最高裁昭和五五年五月三〇日判決・訟務月報二六巻九号一六〇二ページは、「原審の適法に確定した事実関係の下において、上告人ジヤガツト・ナラヤン・ジヤスワル、同ラダ・ラニ・ジヤスワルは本邦外へ退去後も訴訟代理人によつて訴訟を追行することは可能であり、また自ら出廷を要する場合にはその時点で所定の手続により改めて本邦に入ることを認められないわけではないから右上告人両名が被上告人法務大臣の在留期間更新不許可処分によつて本邦外に退去したとしても、これによつてただちにわが国の裁判所において裁判を受ける権利を失うとはいえないとした原審の判断は、正当として是認することができる。」とし、いずれも、強制送還の実施が、本案訴訟の訴えの利益を消滅させるとか相手方らの本案訴訟勝訴後、本邦在留の状態に戻れないとはしていないのである。

さらに、原決定は、法五条一項九号からすれば、退去の日から一年を経過することによつて法律上の不利益も消滅し少なくともこの時点では訴えの利益は、確定的に消滅すると考えられるとしているが、そもそも、我が国は、相手方らのような、出稼ぎ目的のための外国人の入国を一切認めておらず、まして、移民の受け入れとなるような定住、永住を目的とする者の入国を認めないのを政策としているのである。したがつて、本邦での定住を希望する相手方らが本邦より退去した場合は、法五条一項九号の規定にかかわらず、右政策からしてその入国を認められないところ、仮に相手方らが本案訴訟に勝訴しその判決が確定すれば、韓国旅券を取得した上で本邦へ入国するには、相手方らから在韓日本大使館等で当該判決謄本を添え本邦入国の申請があれば定住目的の査証を含め適正な入国査証を発給する上でそのことは一二分に考慮されるのであるから、なおこの点において本案訴訟を維持し勝訴判決を受ける利益は十分に存するのである。

2 次に、原決定は、「相手方らが本案訴訟で勝訴しても、相手方らが本邦在留の状態に戻ることができるか否か明らかでない」としている。

原決定が、相手方らの本邦在留の回復実現の可能性についてどの点が「明らかでない」としているのか不明であるが、ただ「明らかでない」との理由のみによつて「回復困難な損害が生じる」とすることはできない。また、「明らかでない」ということが、仮に、相手方らについてその所属国たる韓国政府によつて旅券が発給されるか否か不確定であるとするものであれば、これまたどのような根拠によるか不明であり、かえつて韓国の旅券法に密出国歴を有する者には旅券を発給しないとの規定がない以上、国民からの申請があれば旅券が発給されるものと考えるのが妥当であろう。

3 したがつて、原決定が相手方らが本国へ送還されることにより、訴えの利益が消滅すると判断したことは誤りであり、また、本邦在留の状態が復帰しないとしたことも誤りである。

なお、原決定のように相手方らが韓国に送還されること自体が、行訴法二五条二項の「回復困難な損害を避けるため緊急の必要がある」とする解釈は、退令被発付者が、取消訴訟等の提起と共に執行停止の申立てさえすれば、その本案訴訟が訴訟要件を欠くなどして却下される場合を除き、ほとんどの場合、送還部分の執行停止を決定しなければならないこととなり、結果的に執行停止の申立てをすることに執行停止の効力を認めたのと同様になつて行訴法二五条一項が規定する「執行不停止の原則」に反するものであり、法の到底許容するところではない。

さらに付言するに、本件のような退令発付処分の違法を争う入管関係の訴訟においては、この執行停止制度が当該外国人の違法な本邦在留状態を少しでも引き延ばすための手段として利用されるのが一般である。すなわち、退令発付処分を受けた外国人は、当該処分に対する抗告訴訟を提起し(その理由としては、退去強制事由に該当する事実の存在することを認めた上で、在留特別許可に関する法務大臣の自由裁量権の行使の違法をいうのがほとんどである。)、退令の執行が実施されるとみるや退令の執行停止を申し立て、その執行停止を得ることにその目的を置いているのである。そして、いつたん、その執行停止決定を受ければ、以後は本案判決を引き延ばし退令発付時とは比較にならないほど退令の執行が困難になるような状態を築きあげ、最終的に本案訴訟が抗告人の勝訴に終わつても裁判中に築いた生活状態を理由に退令の執行を困難ならしめるのである。

本件においても、相手方らが、執行停止制度を、右に述べたように、違法な本邦在留状態の引延しの手段として利用していることは明らかである。

しかも、本件は、不法入国の事実について争いのない事案であることにもかんがみると、原決定のような送還部分の執行停止の裁判は、それ自体、相手方らの本邦への居座りを助長するものであり、ひいては同種事案における不法入国の誘発、助長をさせることにもつながり、入国管理行政に多大な支障を生じさせるものであつて許されないのであり、以上の諸事情を考慮するとき、本件強制送還の実施が相手方らに回復困難な損害及びその損害を避けるための緊急の必要がある場合に当たるとは到底認められず、これを容認した原決定が誤つていることは明白である。

三 さらに、原決定は、「本件退去強制令書の送還部分の執行を停止することによつて、公共の福祉に重大な影響を及ばすおそれがあることを一応認めるに足りる疎明がない」としているが、右判断も以下に述べるとおり誤りである。

1 退令に基づく送還につき、執行停止がなされると、公共の福祉に重大な影響を及ぼすおそれがあることは、すでに意見書中第五において述べたとおりであるところ、さらに次のとおり右意見を補充する。

すなわち、相手方らはその本国である韓国への送還が一応予定されており、右送還については、韓国領事による相手方らとの面接、それに続いて韓国政府と我が国との折衝を経てなされるものであるが、このように、日韓両国間で、送還折衝が予定されている段階で、訴え提起及び執行停止申立てがなされた場合に、原決定のように安易に執行停止を認め送還を不可能にすることは、入国管理行政を著しく停滞せしめると同時に、今後の送還交渉にも多大の支障を及ぼすことは明らかである。

すなわち、従来送還折衝の場において韓国政府は被退去強制者のすべてを引き取つてきたわけではなく、相手国の引取り拒否に対して我が国のねばり強い折衝の結果、その実現を果たしてきたという経緯が存するのであり、右経緯にかんがみ、裁判所が、安易に執行停止を認めた場合は、我が国の国際的信用が大きく損われ、これを契機に再び韓国政府が引取りを拒否することにもなりかねず、これは、単に個々の被退令発付者の送還が阻止されることにとどまらず、今後の送還交渉にも重大な支障を生ずるものであることは明らかといわなければならない。また、今後の同種事案における濫訴の弊害や外国人の強制送還に関して善良な納税者が多大の行政経費を負担させられていること等を併わせ考えるならば、執行停止決定がなされることが妥当でないことは顕著な事実であり、公共の福祉に重大な影響を及ぼすおそれがあることは明らかであるといわなければならない。

四 以上のとおり、相手方らにつき退令の送還部分の執行を停止した原決定は全く失当であるから取消されるべきであり、右送還部分に関する本件執行停止申立ては却下されるべきである。

別紙(七)

意見書

相手方らの昭和六一年一〇月三一日付け意見書において述べるところは主として独自の見解に基づく失当なものであり、あえて反論の要をみないが、念のために誤解していると思われる等必要な限度で次のとおり反論する。

一 相手方らが右意見書第一、一において主張するところが理由のないことは、原審における抗告人の意見書第三、三において述べたところから明らかである。

二 相手方らが右意見書第一、二、(二)において主張する「個人的事情」の存在が、要するに法務大臣の本件裁量を違法ならしめる事実として主張する唯一のもののようである。しかし、右のような事実が存在したとしても、法務大臣の裁量権の行使を違法ならしめるものでないことは既に抗告人において主張しきつたところであり、このことからしても本件が本案について理由のないときに当たることは明らかなのである。

三 相手方らが右意見書第一、四、ロにおいて述べるところは、抗告人の主張を誤解する失当なものである。すなわち、抗告人が即時抗告申立書、抗告の理由、一、5、(一)、(2)において述べたのは、原決定が強制送還実施後のことを危ぐして判示している場合をおもんばかつて述べたものであり、現時点におけることをいうものでない。

四 相手方らは、右意見書第一、八において、抗告人梁三鉉(以下「抗告人梁」という。)は我が国の裁判所において外国人登録法違反により懲役八月、執行猶予三年の有罪判決言渡しを受け、同刑は確定しているのであるから、韓国旅券法八条四号により抗告人梁は旅券の発給を受けられない旨主張する。

しかし、韓国旅券法の右規定は、韓国において刑の宣告を受けその執行が終了していない者等に関するものであつて、外国において刑の宣告を受け外国における刑の執行を猶予されている者を指すものではなく、現にそのような者に対しても旅券が発給されているのである(疎乙第五〇号証)。けだし、韓国旅券法の右法条の立法趣旨は、韓国内に現在する韓国国民が、刑の執行の対象となつている場合、当該刑の執行を確保するため、執行対象者の国外への逃亡等その移動を防止するためにあると解することができるからである。

したがつて、相手方らの右主張は韓国旅券法の解釈を誤つた失当なものである。

五 相手方らは、疎甲第三九号証の二において、相手方梁らが納税の義務まで履行して善良な市民生活を営んでいた旨主張している。

しかし、相手方らがその疎明資料として提出しているのが、本件不法入国の事実が発覚した後である昭和六一年度の納税にかかるものであることからも明らかなように、相手方らが納税をしたといつても不法入国事実発覚後のことであつて(疎乙第五一号証)、それは当然のことであり、決して潜伏中に納税していたものではないのであり、このことからも相手方らの本邦における在留が平穏、かつ、善良なものとは評価できないのである。ちなみに、本邦潜伏中に納税をするならば、確実、かつ、容易に相手方らの不法入国、不法残留の事実が発覚したのである。

別紙(八)

意見書

第一抗告人の「抗告の理由」について

一 「抗告の理由」一1について

抗告人指摘の判決は「条約等特別の取決めの存しない限り」と条件付である。

経済的、社会的及び文化的権利に関する国際規約(昭和五四年八月四日条約第六号)並びに市民的及び政治的権利に関する国際規約(昭和五四年八月四日条約第七号)はいずれも右判決以後に批准されたもので、第一審で主張した相手方らの権利は此の条約に基くものであるから、抗告人が之に拘束されることは当然である。

二 同一234について

(一) 抗告人は「特在許可は、外国人の出入国に関する処分であり、当該外国人の在留状況等の個人的事情のみならず、公安、衛生、労働事情等の国内事情及び国際情勢、外交政策等の対外的事情が綜合的に考慮されるものであることから、同許可の裁量の範囲は極めて広範囲にわたることとなる」と主張する。

(二) しかし右列挙された「個人的事情」については、十数年前に密入国した男女が、来年就学すべき五歳の子と、四歳、三歳の幼児をかかえて、鞄製造業で生活の基盤を得たが、産業の乏しい済州島では生活できない事情があることは既に原審で主張した通りである。

次いて「国際情勢及び外交政策等」について云えば、本件申請をした九月一日以後である九月六日に藤尾発言が問題化し、九月一一日中曽根首相が崔韓国外相に陳謝し、九月二一日には訪韓して、全斗煥大統領に対し陳謝し、かねて懸案の指紋押捺も一回限りとする改正案を次の国会に提出する方針を表明する等韓国に対して極めて友好的な姿勢を示している。

此のように日韓両国民の前に日本行政府の長である首相の方針は明らかであつて、それ以前になされた本件特在不許可は行政府の長の対韓行政方針に反するものであつたことが明らかとなつたものである。

従つて、それが現在の社会通念に照らし著しく妥当性を欠くことが明らかである。

又「その判断の基礎とされた重要な事実に誤がある」ことを挙げているが、本件については抗告人が補充意見書で「申立人らが指摘する申立人梁の外国人登録法違反の判決内容の記載が意見書では懲役六月執行猶予二年の判決と記されていることについてはこれは単なる誤記であり、これと法務大臣の裁決とは何ら関係なく、本書面において意見書第一、一、5の一〇行目以下に懲役六月執行猶予二年の判決とあるを懲役八月執行猶予三年の判決と訂正するものである」と重大な事項である前科の記載を事もなげに訂正している。此の事から推しても、他から伺い知ることのできない特在許可の判断の基礎とされた重要な事実に誤りがあつた可能性が極めて強いと推測せざるを得ないのである。

三 同一5(一)(1)について

原決定の〈1〉ないし〈4〉に対し、「裁判所が法務大臣と同一の立場に立つて当該事案において特在許可をすべきであつたかどうかを審査しようとするものであるといわざる得ない」ときめつけているのは極論と云う外ない。

法務大臣の裁決通知書には「あなたは法務大臣に対し、出入国管理及び難民認定法第四九条第一項に定める異議申出中のところ、昭和六一年五月三〇日付け異議申出は理由がない旨裁決があつたので、このことを通知します」とあるだけ(疎乙第二五、二六、二七、二八、二九各号証)でどんな資料に基づいて判断されたのか全く不明である。

そして抗告人は「例外的場合に当たるかどうかの審査、判断は、右例外的場合に当たるとする事実の存否を審査の対象とすれば足り、原決定が摘示するような法務大臣が当該判断をするに当たつて基礎とした事実のすべて又は相当部分が裁判所に提出される必要はない」と主張する。これは正に入管行政を「鉄のカーテン」で掩い、司法権の抑制的介入も排除し、憲法の三権分立を形骸化し、行政独善の封建国家に逆行を企図するものである。

四 同一5(一)(2)(3)について

抗告人の主張は要するに法務大臣の裁量権が広汎であつて、裁判所が法務大臣の立場に立つべきでないと云うことを繰り返し、だらだらと述べているに過ぎないもので、改めて反論の要はない。

唯その中 (イ)「現時点において、法務大臣の特在許可に関する裁量権の行使が前述のような違法とされる例外的場合とされる余地があるかどうかを判断すれば足りる」と主張しているので、仮にそうだとしても、既述したように首相が日韓関係については極めて低姿勢であることが現時点において明らかになつたのであるから、本件当時の法務大臣の裁量権の行使が首相の方針に背馳する権利の濫用かどうか本案に於いて慎重に判断される余地がある。

(ロ)「裁判を受ける権利は、裁判所に提起して法的判断を求める意思を有する者にのみ保障されるものであり、その意思を有さない者又はそれを失つた者にまで保障されるものでないことを銘記すべきである」との主張は看過し難い問題を含んでいる。即ち裁判を求める意思があるから提起したのであつて、「それを失つた者」とわざわざ特記していることから小霜保之氏の裁判をしたため仮放免期間を更新しなかつた趣旨の陳述書(甲第三四号)が信憑性を帯びて来るのであつて、従来入管の担当官が強制送還者に働きかけ、その裁判を求める意思を失なわせた例が往々存在することを窺知することができるのである。何故ならば、提起した者が任意に自ら裁判を求める意思を放棄することは極めて例外であるからである。

裁判取消請求の裁判の取下件数の統計を知らないが、存在するとすれば尨大な数字に上ることは想像に難くない処である。

五 同一5(二)(1)(2)(3)(4)について

抗告人は本件本案訴訟においては、相手方(原告)らが裁量権の濫用ないし逸脱があつた事実を主張、立証する責任を負い、相手方らがこれを果さないときは相手方らが敗訴することになるのである」と主張するが、既述の通り、単に「理由がない旨裁決があつたので、このことを通知します」と云われただけで、その判断資料を全く示さないのみならず、裁判所にも提出される必要がないのであれば、相手方は主張、立証の方法がないではないか。此のような論が通れば行政事件訴訟の原告敗訴は既定の事実であつて、実質的に司法権の抑制的介入を形骸化するものである。

尚、相手方は法務大臣の裁量判断の違法性については原審においても主張、立証しているが、本意見書及び疎明資料を追加するものである。抗告人は、相手方らが本案について理由があることを主張、立証しない本件と云つているが、相手方らの申請書、意見書、三二号に亘る疎明書類を見ていないのであろうか、見ていなければ原審で反論する筈もないのであるが、全くその真意の了解に苦しむ主張である。

六 同一67について

「潜在期間が一〇年以上であり生活基盤を築いてきたとしても、右状態は違法の上に築かれたものであつて何ら法的保護に価しない」との主張は、抗告人の原審での意見書の通りで、時効制度を理解しない封建的発想であつて理由がない。

七 同二1について

抗告人の主張は訴の利益を正解しない全くの形式論理である。

八 同二2について

「韓国の旅券法に密出国歴を有する者には旅券を発給しないとの規定がない以上、国民からの申請があれば旅券が発給されるものと考えるのが妥当であろう」とあるが、同法第八条には「旅券発給権者は、次の各号の一に該当する者に対しては、旅券の発給、記載事項の変更又は再発給を拒否することができる。

一、二、三各号省略

四、前号以外に禁固以上の刑の宣告を受け、その執行が終了していない者又はその執行を受けないことが確定していない者」とある。

申立人梁三鉉は、昭和六〇年一二月二六日外登法違反で懲役八月執行猶予三年の言渡を受け、確定している模様であるから、昭和六四年一月迄右四号に該当し、旅券の発給を受けられないものである。

九 同二3について

原決定は相手方らの特殊事情に基づいて「回復困難な損害を避けるため緊急の必要がある」と判断したのであるのに、抗告人はそれを一般的な送還全体の問題にすり換えた曲論をなしているに過ぎない。

又、付言は「人を見たら泥棒と思え」式論理で全く悪意に満ちた臆測に過ぎない。

十 同三について

論旨は入管行政に司法権の介入を排除して裁判所を入管行政の侍女化し、三権分立、抑制の原則に反するもので、その失当なことは云う迄もない。

第二結語

一 抗告人の論旨は要するに「依らしむべし、知らしむべからず」との封建的思考であつて、入管行政を「鉄のカーテン」で掩い司法権の介入を排除しようと企図するものである。

二 憲法前文には「そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであって、その権威は国民に由来する」旨謳つている。そして国民は中曽根首相の韓国に対する陳謝に示された日韓関係の行政方針をマスコミを通じて知悉しており、それに反する法務大臣の裁定は国民の信託に価しない権利の濫用で許されないことは明白である。

三 尚、本件代理人は一〇月二五日韓国ソウルにおける日韓弁護士協議会で本件事案をテーマに不法入国者も含めた在日韓国人の権益擁護に協力する旨提案し、満場一致可決された。従つて本件の推移は韓国の在野法曹も注視する国際情勢となつたことを附言するものである。

別紙(九)

第二意見書

一 学説も「執行停止の積極的要件たる『回復の困難な損害を避けるための緊急の必要』の判断は、二つの消極的法定要件の判断と一体性をもたざるをえないのであるが、このことをふまえつつ、『回復の困難な損害に関する近時の裁判例の一般的な傾向としては、これを比較的ゆるやかに解する傾向にある』と言われる。たとえば金銭賠償が可能であつてもそれでは補償されえないと見られる著しい損害は、ふくまれると解されている。また、外国人にたいする退去強制等入国管理処分にたいする停止決定例はますます数多くなり、その際、本国送還される等とりかえしのつかない場合だけでなく、収容についても『社会通念上回復が容易でない損害であれば足りる』という考え方が採られるようになつている。」(行政手続・行政争訟法杉村敏正、兼子仁共著、現代法学全集11、筑摩書房、三三六頁)としており、判例も同旨である。「札幌高決昭四二・九・二五行裁例集一八巻八・九号一二一一頁。同旨、東京高決昭四四・一二・一、同昭四五・三・二五など」

二 抗告人が疏明する最高裁判決は昭和五四年一〇月二三日になされたもので、相手方が援用する「在日韓国人の特殊な歴史的背景を考慮し、その法的地位及び待遇改善問題について、首相は引き続き努力する旨述べた」との日韓共同声明はそれ以後である昭和五九年九月六日になされた(疏甲第三三号証)のであるから、右判決の趣旨は少くも韓国人に対しては維持されるべきではない。何故ならば裁量権ある法務大臣は在日韓国人の法的地位及び侍遇の改善に努力すべき旨約した首相の行政方針に制約されるのが当然である。

詳細については昭和六一年一〇月三一日附当方の意見書を援用する。

三 昭和六一年(行ス)第一九号昭和六一年一〇月三〇日附相手方(抗告人)の意見書二―一で主張する上陸の手続を経ることなく本国に在留することとなる外国人には、少なくも、抗告人(相手方)梁龍孝、同梁智恵美、同梁由理は日本で生れ、日本で育ちつつある幼児であるから該当しない。

四 従つて、国際人権規約B規約第二四条「すべての児童は人種、皮膚の色、性、言語、宗教、民俗的又は社会的出身、財産又は門地に関する差別なしに、未成年者としての地位に必要とされる保護措置を受ける権利を家、社会及び国に対して有する」のであるから、日本国に対し全く未知の国へ送還されることからの保護請求権を有するのである。

別紙(一〇)

第三意見書

第一抗告人提出の決定(疏乙第五二号証)について

(イ) 事案が相違する。

1 本人らの父母弟妹がソウル又は済州市内で夫々タイル販売又は海産物卸商を営なみ、平穏に生活している。

2 本人らは健康である。

3 本人らは二度目の不法入国である。

が本件の場合、本人らの父母弟妹は送還予定地である済州には居住せず、梁三鉉はてんかん、痔で、李永順は子宮外妊娠手術後の疼痛があつても医薬が受けられないでいること、始めての不法入国であるなど事案を異にする。

(ロ) 日韓の特殊関係について本人らは主張していない

1 一九八四年の日韓共同声明や中曽根首相が藤尾文相の日韓関係の発言について同文相を馘首して、訪韓し、全大統領に陳謝したことなどに明示された対韓姿勢に法務大臣の裁量権も制約されることは国民に明らかである。

2 即ち、日韓併合時代の武断政治、土地の収奪、労働者慰安婦等の強制連行、関東大震災に際しての朝鮮人の大量虐殺など韓国人は学校教育や父母の話等で知悉した上に礎かれた対日国民感情を有するので、在日韓国人の人権問題についても特別の配慮を払うのがその長である首相によつて示された行政方針である。

3 尚、大阪、済州島間には大正時代から定期船が往来し、済州道人が大阪に行くことについて、一般外国人が不法入国する場合と異なつた軽い気持が長い間に醸成されて来た歴史的背景も考慮すれば本件の場合本人らの退去を強制するのは人道に欠け酷に過ぎるものである。

第二李永順の病気について

本人は大村収容所には婦人科医がいないと思つて、その痛苦を訴えていなかつたものであるが、専門医の診療、治療が必要である。

別紙(一一)

第四意見書

(便宜上、大阪入国管理局を「入管」梁三鉉、李永順を「本人ら」と略称する。)

一 日本と済州島との関係

1 神話時代

済州島の建国神話は、三神人が日本国から来た三王女と婚姻して建国したとしている。(疎甲第四三号証)

こんな神話があることによつて、古来日済間に人々の往来が頻繁で、日済の人々が血縁関係にあることが伺われる。現に済州島人はその風貌が日本人に酷似していて、日本人と見分けがつかない者が多い。

2 大正、昭和初期

一九二二年、尼ケ崎汽船の大阪・済州島直通航路の開始、さらに一九二四年には朝鮮郵船が就航し、一九二七年には一カ年乗客者数は実に三万六千余名に達した。(疏甲第二五号証、「異邦人は君ケ代丸に乗つて」二二〇頁)

3 昭和九年当時

全島民の二五%が日本へ渡来し、労働可能の年令層の人々の大半は日本に渡つて来ていたと推定されるのである。(同書一〇一頁)

4 韓国からの不法入国者六〇一名中、済州島からは五〇五名を占めている。(疏甲第四四号証出入国管理の回顧と展望一四五頁)

5 そして韓国の全人口は約四千万人であるから不法入国者は約四十万人の中、一人になるが、済州島の人口は約三十五万人である(疏甲第二五号証の八六頁)から約〇・七%を占め、その比率も済州島人が異常に高い。

6 これは済州島が東西七十三キロメートル、南北四十一キロメートルの楕円型の島型を有し、その面積は日本の香川県にほぼ匹敵する。島の中央に千九百五十メートルの漢拏山がそびえ、山腹から裾野にかけて三百あまりの寄生火山がある。島の農産物はアワ、麦、ソバ、米などで、水産業は半農半漁の兼業者が多く、(前同書八六頁)他の産業発達の余地がなく、辛うじて観光地として生き残ろうと努めていて、鞄製造業など工業の成り立つ餘地は存在しない現状である。

7 右地理的条件に加えて、日本人の血を承けた済州島人はその帰趨本能として、鮭が海で成長して自分の生まれた川へ遡つて来るようにその五体に流れる日本人の血が本能的に日本を恋い慕つて、危険を冒して密入国をする心情は察するに餘りあるものがある。

二 法務省入国管理局自身も「出入国管理行政は、外国人の人権に深いかかわりを有する業務であるので、個々の事案の処理においても外国人の人権の尊重を念頭におき、いやしくも国際人権規約違反という非難を受けることのないように制度を運用していかなければならないことはもち論のことである」(疏甲第四四号証二一九頁)としているのであつて本件における入管の立論は此の趣旨に背馳するものである。

三 以上の点を従来の主張に加えて本人らの心情を御憫察を賜わり、一日も早く自由の身になつて本訴の結果を待てるよう御配慮を願うものである。

原審決定の主文及び理由

主文

一 被申立人が昭和六一年六月二七日付で申立人らに対して発付した退去強制令書に基づく各執行は、その送還部分に限り、本案(当庁昭和六一年(行ウ)第五三号)の第一審判決言渡しまで停止する。

二 申立人らのその余の申立を却下する。

三 申立費用はこれを二分し、その一を申立人らの負担とし、その余を被申立人の負担とする。

理由

一 申立人らの申立の趣旨及び理由は、別紙(一)、(二)記載のとおりであり、被申立人の意見は、別紙(三)、(四)記載のとおりである。

二 当裁判所の判断

1 本件記録によると、被申立人が、申立人らに対し、昭和六一年六月二七日付で退去強制令書を発付し(以下「本件令書発付処分」という。)、次いで、右令書の執行として、右同日、申立人らは大阪入国管理局(以下「入国管理局」という。)に収容されたが、帰国のための家事整理の必要性の考慮により、申立人梁三鉉(以下「申立人三鉉」という。)を除くその余の申立人らは右同日、申立人三鉉は同年七月三日、それぞれ仮放免を受け、肩書住居地で生活していたが同年九月二五日、仮放免の期間が満了のため再び入国管理局に収容され、近日中に申立人ら全員が韓国へ強制送還される予定であることが一応認められ、また、申立人らが、法務大臣及び被申立人を相手方として、当裁判所に対し、法務大臣が昭和六一年五月三〇日付で申立人らに対してした出入国管理及び難民認定法(以下単に「法」という。)四九条一項に基づく異議申立を理由なしとした裁決(以下「本件裁決」という。)及び本件令書発付処分の各取消の訴えを提起(当裁判所昭和六一年(行ウ)第五三号)し、現在審理中であることは、当裁判所に顕著な事実である。

2 次に、本件記録によれば、次の事実が一応認められる。

(一) 申立人三鉉は、昭和二五年一〇月四日、韓国済州道済州市一徒二洞一〇七四番地において、いずれも韓国人である父梁重鵬、母金良祐の三男として出生した韓国人であり、出生地の国民学校、中学校を経て昭和四五年二月に済州商業高校を卒業し、約三年間兵役に服したほかは、自宅で、父親の営む洋服製造業の手伝いをしていたが、その後昭和四九年一〇月ころ、大阪市生野区に居住している伯母(母の姉)金昌祐を頼つて出稼ぎの目的をもつて本邦に行くことを決意し、父より密航世話人との交渉等の手配、密航料金の出捐をえて、有効な旅券又は乗員手帳を所持せず、他の密入国者と共に船舶で本邦に不法入国し、右金昌祐方に一週間程滞在したのち、同区内の光金属工業所で約一年二か月の間、住込み工員として稼動し、その後同市平野区に転居して、大阪府門真市の島崎塗装工業所で約二年間塗装工として稼働したが、昭和五三年一二月からは現住所である肩書住居地の借家に居住して、鞄製造業を営むようになり、その間の昭和五五年三月九日、出稼ぎ目的をもつて不法入国し、潜在居住中であつた申立人李永順(以下「申立人李」という。)と結婚した(韓国の戸籍への記載は昭和五五年七月三〇日)。

(二) 申立人李は、昭和三〇年一一月一四日、韓国済州道北済州郡旧左面杏源里六九四番地において、いずれも韓国人である亡父李道南、母尹公花(戸籍上は同父と亡母夫泰連の五女)との間に出生した韓国人であり、出生地の国民学校を経て昭和四六年二月に中学校を卒業後、しばらく祖母(父の母)のもとで農業の手伝いをしていたが、昭和四七年一二月ころ、大阪市生野区に居住している遠戚の李熙根を頼つて出稼ぎの目的をもつて本邦に行くことを決意し、右祖母の賛同をえて同女より密航の手配、密航料の出捐をえて、有効な旅券又は乗員手帳を所持せず、他の密入国者と共に船舶で本邦に不法入国し、しばらくは右李熙根方に住み、同人の営む乾物商の手伝いをしていたが、昭和五〇年一〇月、同人が不法入国容疑で逮捕されたことから、その後東京都荒川区内の遠戚李成順方に身を寄せ、昭和五五年一月初めころまで同人の経営する喫茶店で店員として稼働するうち、昭和五四年一二月ころから申立人三鉉と交際するようになり、昭和五五年三月九日同人と結婚した。

(三) 申立人梁龍孝(以下「申立人龍孝」という。)は、昭和五六年二月二三日、同梁智恵美(以下「申立人智恵美」という。)は昭和五七年四月八日、同梁由理(以下「申立人由理」という。)は、昭和五八年六月二六日、いずれも大阪市生野区内において、申立人三鉉と同李を両親として出生した韓国人であるが、在留資格取得の許可申請をすることなく、法定の期間を超えて本邦に不法に残留した。

(四) 申立人三鉉、同李は、結婚後、肩書住居地の借家に同居し、夫婦で鞄製造業(ビニール鞄の製造下請)を営み、月二五万円位の収入を得ており、その間、前記のように一男二女をもうけたが、子供達の将来のことを考え、自首を決意し、昭和六〇年四月一七日、不法入国の事実を入国管理局に申告したため申立人らの不法入国、残留が入国管理局に発覚するに至つた。

なお、申立人三鉉、同李は、いずれも昭和六〇年一一月二八日、外国人登録法違反の罪で大阪地方裁判所に起訴され、申立人三鉉は、同年一二月二六日、懲役八月(執行猶予三年)、申立人李は、昭和六一年一月三一日、懲役六月(執行猶予二年)の判決の言渡しを受け、同判決は、いずれも確定した。

(五) 前記のように、申立人らの不法入国及び残留が入国管理局に発覚後、調査の結果、入国審査官は、昭和六一年二月二五日、申立人三鉉について法二四条一号該当、同月二七日申立人李について法二四条一号該当、前同日申立人龍孝、同智恵美、同由理について法二四条七号該当の認定を行なつた。これに対し申立人らは、いずれも特別審理官に口頭審理を請求したので、同審理官は、同人らの口頭審理を行なつた結果、同年三月一七日、入国審査官の前記各認定には誤りがない旨判定しその旨を同人らに通知した。そこで申立人らは右判定に対し法務大臣に異議の申出をしたところ、同年五月三〇日、異議申出はいずれも理由がない旨の裁決がなされ、この旨の通知を受けた主任審査官は、同年六月二七日、本件裁決結果を申立人らに告知するとともに本件令書発付処分に至つたものである。

(六) 申立人三鉉、同李の財産としては、結婚後、前記のように夫婦で鞄製造業を営むなどして貯えた七〇〇万円位の預金があるが、そのほかには、本邦内にも本国にも預貯金、不動産等の資産はなく、また右申立人両名とも、申立人龍孝ら三名の子以外には、扶養すべき係累はない。

申立人三鉉の母は、元本国に居住していたが、その後、申立人の長兄や弟とともにアメリカ合衆国に移住し、同国で生活しており、申立人の父も、最近、同国に移住した模様であつて、結局、現在、本国には同申立人の次兄と、いずれも他家に稼いだ姉一人、妹二人がいるのみで、その生家も道路拡張のため取りこわされた様子である。申立人李の父、戸籍上の母、同申立人を育てた祖母(父の母)は、いずれも既に死亡し、現在は、同申立人の生母とその異母姉三人、実姉一人が本国に居住し、生母は再婚して済州市に、右姉妹らはいずれも韓国本土に、それぞれ居住しているようであるが、いずれも同申立人とはほとんど音信がない。

なお、申立人三鉉は、てんかんの持病があり、前記自首後、大阪赤十字病院に通院して治療を受けていた。

以上の事実が一応認められる。

3 ところで、申立人らが本件令書発付処分に基づく執行によつて韓国へ送還された場合、本案訴訟における訴の利益が消滅して本案訴訟による救済を受けられなくなるおそれが生じるし(法五条一項九号からすれば、本件令書発付処分の執行として本邦からの退去を強制されたことに付随する法律上の不利益も、退去の日から一年を経過することによつて消滅すると解され、少なくともこの時点では、訴の利益は、確定的に消滅すると考えられる。)、また、申立人らが本案訴訟で勝訴しても、申立人らが本邦在留の状態に戻ることができるか否かも明らかでない。そうすると、申立人らが韓国へ送還された場合、本案訴訟を提起した目的である本邦での適法な在留を得られない不利益を被るおそれがあり、この不利益は、申立人らにとつて回復困難な損害であつて、その損害を避けるためには、少なくとも強制送還部分の執行を停止すべき緊急の必要性があるというべきである。

4 前記2の認定事実に照らすと、法務大臣が本件裁決に当たつて法五〇条に基づく特別在留許可(以下「特在許可」という。)を与えなかつたことが裁量権の逸脱ないし濫用である旨の申立人らの主張は、明らかに失当であるとはいえないし、本案訴訟でこの主張が認められる余地が全く存しないというわけではないから、現段階において本案について理由がないとみえると断定することはできない。

被申立人は、本件申立は、本案について理由がないとみえるときに該ると主張する。

たしかに、前記認定事実からすれば、申立人三鉉、同李は、いずれも法二四条一号に、同龍孝、同智恵美、同由理は、いずれも同条七号に、それぞれ該当することが明らかであり、かつ申立人らの主張のうち、実質的な争点と考えられる、法務大臣が法五〇条に基づく特在許可を与えなかつたとの判断が違法となるか否かの点については、右判断は、法務大臣の広汎な自由裁量に属する行為であり、それが裁量権の濫用あるいはその範囲の逸脱があるとして違法とされるのは、その判断の基礎とされた重要な事実に誤認があること等により、判断が全く事実の基礎を欠くとか、事実に対する評価が明白に合理性を欠くこと等により、右判断が社会通念に照らし、著しく妥当性を欠くことが明らかであるというような例外的場合に限られることを考慮する必要があることは勿論であるけれども、他方、特在許可の判断の基礎となる事実は、事柄の性質上、広汎にわたり、かつ変動しうる要素をも持つものであつて、そのような事実を基礎づける資料の収集を簡易、迅速な疎明手続の中で完全になすことには限界があると考えられること、またその事実に対する評価の合理性、妥当性という点も微妙な総合的判断にかかる事柄であつて、必ずしも一義的な判断基準があるわけではなく、不法入国者とはいえ一〇年以上もの長期間本邦に居住して非行もなく平穏に稼働し、生活基盤を築いてきた申立人三鉉、同李らに対する人道上の見地や裁判を受ける権利の実質的な保障という観点をも加味すれば、やはりこの点に関しては、本案訴訟手続による慎重な判断が望ましいと考えられることなどの諸点を考慮すれば、現段階において、本件裁決及びこれを前提とする本件令書発付処分について、本案の理由審査の余地が全くない程に、申立人らの主張する瑕疵が存しないと断定するのは相当でないと考えられる。

5 本件記録を仔細に検討しても、本件退去強制令書の送還部分の執行を停止することによつて、公共の福祉に重大な影響を及ぼすおそれがあることを一応認めるに足りる疎明がない。

6 本件の全疎明資料によつても、本件退去強制令書に基づく収容部分の執行により、申立人らにおいて回復困難な損害を被り、これを避けるため緊急の必要性があるとの事実を一応認めることはできない。

7 よつて、申立人らの本件申立は、本件退去強制令書の送還部分の執行停止を求める限度で、かつ、本案訴訟の第一審判決言渡しまでの期間に限つて理由があるからこれを認容し、その余は理由がないからこれを却下し、申立費用の負担につき行訴法七条、民訴法八九条、九二条本文、九三条一項本文を適用して、主文のとおり決定する。

別紙(一)

申請の趣旨

被申請人が申請人五名に対し、昭和六一年六月二七日なした強請退去命令の執行は本案判決をなすに至る迄、之を停止する。との決定を求める。

申請の理由

一 申請人梁三鉉は、昭和四九年十月初旬頃、有効な旅券を所持しないで神戸港に、申請人李永順は昭和四七年十二月下旬同じく神戸港に夫々上陸した者である。

二 右両名はその後、日本国内に居住していたが、昭和五五年七月三十日婚姻し、その間に

1 申請人梁龍孝が昭和五六年二月二十三日

2 申請人梁智恵美が昭和五七年四月八日

3 申請人梁由理が昭和五八年六月二六日

夫々出生した。

三 申請人梁三鉉は、申請人李永順と共に昭和五三年十二月初旬頃、現住所に居住し、鞄製造業を自営し、月額二五万円乃至三十万円の収益があり、税金も納付し、全く善良な市民生活を営んでいるものである。

四 そして、申請人らは昭和六十年四月十七日人の奨めで、大阪入国管理局へ自首し、昭和六十年七月四日夫々登録証の交付を受け、在留を認められていた。

五 その後、昭和六十年十月四日、大韓民国国民登録証の交付を受け、出入国管理及び難民認定法第九条一項の申請を受理された。

六 処が、昭和六一年二月二五日申請人梁三鉉、同年同月二七日申請人李永順は夫々「容疑者が出入国管理及び難民認定法第二四条第一号に該当する」その他申請人三名はいずれも「容疑者は、出入国管理及び難民認定法第二四条第七号に該当する」旨の通知を受け、同年三月十七日申請人五名は右認定は誤りがない旨判定通知書を受けた。

七 しかし、右法第二四条一号の違反者に対する罰則は同法第七十条により「三年以下の懲役若しくは禁固又は三十万円以下の罰金」である。従つて、刑訴法第二五〇条第五号により三年で時効完成しているので、公訴を提起できない。

八 仮りに、時効期間内に公訴を提起され、有罪判決を受けたとしても、執行猶予付きであればその期間経過により、執行猶予の言渡がなく実刑に処せられたとしても、刑法第三四条の二により刑の言渡はその効力を失うことを考慮すれば、申請人梁三鉉、申請人李永順は入国以来十二年乃至十四年近く経過しているので、同法二四条違反は事実行為として残つているが、日本国の刑事法が処罰の対象外としていることは明らかである。

九 そして、出入国管理、外国人登録実務六法昭和六〇年版六六頁には、退去強制について「外国人の追放が国家の全く恣意的な判断によつて行なわれるときは、円滑な国際間の交流を阻害し、外国人の人権を侵害することになる。平時、理由もなく外国人を追放すれば、少なくとも非友誼的な行為とみなされる。理由なくしてその度が過ぎれば、権利の濫用として、不法となる場合もあろう。現在の国際社会においては、正当な理由がなければ、外国人の追放は許されないというべきであろう。それでは、どういう場合であれば正当な理由があるとして外国人を追放し得るかというと、一般的に言えば、その外国人の存在がその国の公の秩序と公共の安全に対して脅威を与え、その者の在留がその国にとつて有害であると認められる場合であると言うことができよう」と解説している。

十 日本国が批准した国際人権規約(B)市民的及び政治的権利に関する国際規約第十二条第二項に「すべての人は、自国その他いずれの国をも立去る自由を有する」とあり、申請人梁三鉉、申請人李永順はいずれもその韓国から出国の自由権を行使したもので、日本国憲法第九八条第二項により日本国はその自由権を尊重する義務があり、処罰もできないのに強制送還することはその自由権を侵害することになる。

十一 又、国際人権規約(A)経済的、社会的及び文化的権利に関する国際規約第十一条第一項には「この規約の当事国は、すべての者が十分な食料、衣服及び住宅を含めて、自己及びその家族のために十分な生活水準を享受し並びに生活条件の不断の改善を求める権利を保有することを認める。当事国は、この権利の実現を確保するために適当な措置を執るとともに、この目的のために自由な同意に基づく国際的な協力がきわめて重要であることを認める。」とある。

十二 本書第二、三項で述べた通り申請人らは現住所で鞄製造業を営む善良な市民として親子五人が生活する基盤をやつと作り上げたものである。

十三 そして、本籍の済州道は産業乏しく、ようやく親光地として生きる道を歩んでいる火山島で、申請人らの鞄製造業で生計を立てる見込はなく、申請人らの身寄りもなく、十分な生活水準を享受することは不可能であり、それにも拘らず強制送還することは申請人ら親子五人に餓死を強いるもので、右国際人権規約(A)第十一条に違反することが明らかである。

十四 又、同(B)規約第二四条には「すべての児童は人種、皮膚の色、性、言語、宗教、民族的又は社会的出身、財産又は門地に関する差別なしに、未成年者としての地位に必要とされる保護措置を受ける権利を家、社会及び国に対して有する」とあるので、申請人梁龍孝、同梁智恵美、同梁由理は児童として強制送還による餓死からの自由の保護措置を日本国に対して求めるものである。

十五 以上、申請人らの在留は国際的に認められた権利であつて、本件強制退去命令は何等日本国の公の秩序と公共の安全に対して脅威を与え、国家にとつて有害であると認められる正当な理由がないのになされたもので、法務大臣の裁量権を著しく逸脱する不当なものであるから、回復できない損害を避けるため本申請に及んだ。

別紙(二)

意見の趣旨

申請の趣旨に左の通り附加する。

(予備的申請)

被申請人が申請人五名に対しなした退去強制命令の執行の中、送還部分を本案判決をなすに至るまで停止する。

申請費用は被申請人の負担とする。

意見の理由

第一 被申請人の意見書「意見の理由」第三について

一 被申請人のこの主張は形式論理であつて、法及び申請人らの主張の真意を理解しないものである。

1 法二四条に基づき行政手続により本邦から当然に退去強制させられるのでありと同条が退去強制する義務規定と解釈しているもののようである。しかし同条は「退去を強制することができる」とあり、退去強制をしない場合を予定している任意規定である。

2 申請人の刑事罰の対象外であるとの主張は申請人らの存在が日本国の公の秩序と公共の安全に対して脅威を与え、その者の在留が日本国にとつて有害であると認められない理由として挙げたもので、刑事法と行政処分を混同したものではなく、歳月の経過により退去強制に価する不法入国ではなくなつたと主張しているのである。

二 又、被申請人は同三(2)において、帰国後鞄の製造業に従事して生活が維持でき、「身寄りがない」との主張は虚偽であると述べているが、梁の父兄は生活難のためアメリカへ移民し、家もなく、李の姉妹は他家へ稼ぎ音信不通で、両名が済州へ帰つた処で、住む家すらない状態であり、僅かの預金は三人の幼児を抱えて、数ケ月の生活を支える程度のものであり、尚、梁はてんかん、李は婦人病で腰痛が激しく、身体的にも済州での生活には到底堪えないものである。

第二 特在許可の不作為は裁量権の濫用である。

一 一昨年一〇月八日、全斗煥大統領の来日に際し、中曽根首相との首脳会談を受けて、日韓同伴の新時代の開幕を宣して発表した日韓共同声明の第九項に「首相と大統領は、在日韓国人の特殊な歴史的背景を考慮し、その法的地位及び待遇の問題が両国民間の友好関係の増進に深くかかわつていることに留意した。

大統領は、これに関連し、これまで日本政府がとつてきた措置を評価しつつ、日本政府がこの問題について今後とも努力を継続するよう要請し、首相は、引き続き努力する旨述べた」とある。

二 中曽根首相を長とする日本国政府は此の共同声明の趣旨に副い、在日韓国人の法的地位及び待遇向上に努める行政上の義務を負担したことになる。従つて、在日韓国人の国外追放に当つても日韓両国の国際関係を考慮し、その特在許可についても出来る限り許可すべき国際的義務がある。処が被申請人の意見書は申請人らが在日韓国人であることについて一顧だにしていない。

三 中曽根首相は日韓併合について韓国にも責任がある旨雑誌に意見を述べたため、それが非公式であるに拘わらず藤尾文相を馘首し、今又、訪韓し、全大統領に対し謝罪し、日韓関係の修復に最大の配慮を示した。此の事を以つてしても行政権のあり方は韓国人の人権尊重を旨とすべきことは三歳の童児にも分る自明の理で、韓国人の法的地位及び待遇の観点からすれば退去強制は死刑宣告に等しく、日韓共同声明の趣旨から安易になさるべきではない。

四 のみならず、本件退去強制命令は申請人らの多年に亘り礎き上げた大阪、旧猪飼野地区での鞄製造業としての営業権を剥奪し、その死命を制するものである。

五 此の事は申請人らの財産権の侵害であり、何等の補償も与えずなされた本件命令は中曽根政府の行政権行使の逸脱であるのみならず、憲法第二九条財産権不可侵の規定に違反し、同第一三条個人の幸福追及権を侵害する遺憲の命令である。

六 のみならず、被申請人は同書第一、5について「申立人梁は、昭和六一年一月三一日、大阪地方裁判所において外国人登録法違反により懲役六月執行猶予二年の判決を受けている」と述べているがその摘示する疏乙第七号証には「懲役八月3年間執行猶予訴費負担」とあり、その誤りであることは明白である。

七 被申請人は申請人の処断刑と云うような重大事項について此のような明白な誤りを犯しているのであるから、内部的に法務大臣の特在許可のための資料にも重大な誤りがあり、その誤つた資料に基づいて法務大臣が特在許可をしなかつたものと推定されるのである。

第三 被申請人は同書第五において「退去の執行を停止することが公共の福祉へ重大な影響を及ぼすおそれがある」と述べているがその逆であることについて。

一 同書第五には、「不法入国する者を誘発、助長するものであつて、公共の福祉に重大な影響を及ぼすものである」と述べられているが、大阪の生野区等には大正時代から大阪・済州島内に定期航路があり、容易に往来していた影響もあつて、平和条約発効以後も密航者が絶えず、同地区に潜伏している密航者の数は掴みきれないことは顕著な事実である。(疏甲第二五号証)

二 此の状態が外登法の趣旨から好ましくないことは当然であるが被申請人の云う今後の不法入国者は水際で取締れるが、潜在密航者はその自発的意思に待たないと取締ることは極めて困難で、申請人らのように一〇年以上経過して尚、自首した場合でも退去強制される先例が作られると今後自首する者はなくなり、外国人の管理行政に支障を来たし、それこそ公共の福祉に重大な影響を及ぼす事態が現実に発生することが明らかである。

別紙(三)

意見書

意見の趣旨

本件執行停止の申立てを却下する

申立費用は申立人らの負担とする

との決定を求める。

意見の理由

本件執行停止の申立ては、行政事件訴訟法(以下「行訴法」という。)二五条二項及び三項の要件を欠き失当であるから、却下されるべきである。

以下この点につき、被申立人の意見を詳述する。

第一 申立人らの経歴について

一 梁三鉉について

1 申立人梁三鉉(以下「申立人梁」という。)は、昭和二五年一〇月四日韓国済州道済州市一徒二洞一〇七四番地において出生した韓国人である。

2 申立人梁は、同地の済州東国民学校、済州第一中学校を経て、昭和四五年二月済州商業高等学校を卒業し、以後は約三年間の兵役期間を除き自宅で父と一緒に洋服や鞄を製造する仕事に従事していた。

その後申立人梁は、大阪市生野区に居住している母の姉である金昌祐を頼り出稼ぎの目的を持つて本邦に行くことを決意し、父から密航世話人との交渉等の手配、密航料金七〇万ウオンの出捐をえて、昭和四九年一〇月一〇日ころ、韓国蔚山港から本邦神戸港に、有効な旅券又は乗員手帳を所持せず本邦に不法入国した。

3 申立人梁は、右不法入国後、右金昌祐方に一週間程滞在した後、大阪市生野区にある光金属工業所で約一年二か月住込み工員として稼働し、その後大阪市生野区に転居し、大阪府門真市にある島崎塗装工業所で約二年間塗装工として稼働したが、昭和五三年一二月からは現住所である大阪市生野区田島五丁目四番一〇号の借家に居住して、本邦に不法入国するまで従事していた仕事と同じ鞄製造業を営むに至つた。

4 申立人梁は、後述のごとく本邦に不法入国して潜在中であつた申立人李永順と昭和五四年一二月ころから交際を始め、昭和五五年三月九日に結婚した(戸籍への記載は昭和五五年七月三〇日)。

5 申立人梁は、前記3記載の居住地で妻申立人李永順と同居し、本邦において長男申立人梁龍孝、長女申立人梁智恵美、次女申立人梁由理をもうけ、妻と共に鞄製造業を営んでいたが、この間子供の出生届もできない等不安な毎日だつたことから、やむを得ず、昭和六〇年四月一七日妻と共に右不法入国の事実を大阪入国管理局(以下「当局」という。)に申告するに至つたものの、それまでひそかに本邦に潜在していたものである。

なお、申立人梁は、昭和六一年一月三一日、大阪地方裁判所において外国人登録法違反により懲役六月執行猶予二年の判決を受けている(疎乙第一号証、第三号証、第六、七号証)。

二 李永順について

1 申立人李永順(以下「申立人李」という。)は、昭和三〇年一一月一四日韓国済州道北済州郡旧左面杏源里六九四番地において出生した韓国人である。

2 申立人李は、同地の北村国民学校を経て咸徳中学校を卒業し祖母(父の母)方で農業手伝いをしていたが、大阪市生野区に居住している遠戚李熙根を頼り当初は三年間位働いて帰国するつもりで、祖母(父の母)から密航の手配、密航料の出捐をえて、昭和四七年一二月二〇日ころ、韓国釜山港から本邦の大阪付近の港に有効な旅券又は乗員手帳を所持せず本邦に不法入国した。

3 申立人李は、右不法入国後、右李熙根方に住み同人の経営する乾物商の手伝いをしていたが、昭和五〇年一〇月一五日同人が不法入国容疑で生野警察署員に逮捕されたことから東京へ逃げ、東京都荒川区西日暮里に居住する遠戚李成順方に身を寄せ、昭和五五年一月初めころまで同人の経営する喫茶店で店員として稼働し、他方前記のとおり申立人梁と昭和五四年一二月ころから交際を始め、翌五五年三月九日に結婚し現住所である大阪市生野区田島五丁目四番一〇号の借家に住み夫と共に鞄製造業に従事し、昭和六〇年四月一七日夫と共に右不法入国の事実を、当局に申告したが、それまでひそかに本邦に潜在していたものである。

なお、申立人李は、昭和六一年一月三一日、大阪地方裁判所において外国人登録法違反により懲役六月執行猶予二年の判決を受けている(疎乙第二号証、第四ないし七号証)。

三 梁龍孝、梁智恵美、梁由理について

申立人梁龍孝(以下「申立人龍孝」という。)は昭和五六年二月二三日、同梁智恵美(以下「申立人智恵美」という。)は昭和五七年四月八日、同梁由理(以下「申立人由理」という。)は昭和五八年六月二六日、いずれも大阪市生野区内において、申立人梁と同李を両親として出生したものであるが、いずれも在留資格取得の許可申請をすることなく、法定の期間を越えて本邦に不法に残留していたものである(疎乙第三号証)。

第二 本件退去強制令書発付の経緯

申立人らについて出入国管理及び難民認定法(以下「法」という。)二四条一号及び七号に該当する旨の認定がなされ、退去強制令書(以下「退令」という。)が発付されるまでの退去強制手続の経緯は次のとおりである。

一 入国審査官による認定とその通知

(梁三鉉)

昭和六一年二月二五日 法二四条一号に該当する旨認定し、通知(疎乙第一〇号証、疎甲第一一号証)

(李永順)

昭和六一年二月二七日 同右(疎乙第一一号証、疎甲第一二号証)

(梁龍孝、梁智恵美、梁由理)

昭和六一年二月二七日 法二四条七号に該当する旨認定し、通知(疎乙第一二ないし一四号証、疎甲第一三ないし一五号証)

二 特別審理官による判定とその通知

(申立人ら)

昭和六一年三月一七日 前記認定に誤りがない旨判定し、通知(疎乙第一五ないし一九号証、疎甲第一六ないし二〇号証)

三 法務大臣に対する異議の申出

(申立人ら)

前同日 異議の申出(疎乙第二〇ないし二四号証)

四 法務大臣による裁決

(申立人ら)

昭和六一年五月三〇日 異議の申出は理由がない旨裁決(疎乙第二五ないし二九号証、以下「本件裁決」という。)

五 主任審査官による裁決の告知及び退令の発付

(申立人ら)

昭和六一年六月二七日 前記裁決を告知し、退令を発付(疎乙第三〇ないし三四号証)

なお、退令発付をしたのは当局主任審査官伊藤廸郎であつて長谷川清ではない。

六 退令の執行と仮放免

(申立人ら)

昭和六一年六月二七日 退令を執行し当局に収容

(李永順、梁龍孝、梁智恵美、梁由理)

右同日 帰国のための家事整理の必要性を考慮し仮放免許可(疎乙第三一ないし三四号証)

(梁三鉉)

昭和六一年七月三日 帰国のための家事整理の必要性を考慮し仮放免許可(疎乙第三〇号証)

なお、申立人らは、大村入国者収容所からの次期集団送還(本年一一月の予定)により、送還予定のものであるが、右仮放免許可に先だち、申立人らは、次期集団送還により帰国することを誓約しているものである(疎乙第三五号証)。

第三 本件申立ては、本案について理由がないことが明らかであることについて

一 申立人らは、強制退去命令執行停止申請書(以下「申立書」という。)四、五項において「昭和六〇年四月一七日当局に申告し、昭和六〇年七月四日外国人登録証明書の交付を受け在留を認められており、また、昭和六〇年一〇月四日大韓民国国民登録証の交付を受け、法九条一項の申請を受理された」旨主張する。

しかしながら、申立人らが交付を受けたと主張する外国人登録証明書は、本邦に在留する外国人の居住関係及び身分関係を把握して、在留外国人の管理のために必要とされる正確な資料・情報を提供することを目的とする外国人登録法(昭和二七年四月二八日、法律第一二五号)に基づく登録申請義務により申立人らが不法入国の事実を当局に申告した後に大阪市生野区長に申請したことにより交付されたものである。右義務は「本邦に在留する外国人が外国人たる身分とその本邦在留の事実それ自体とに基づいて賦課される義務であつて、本邦に在留する資格の有無、本邦入国の合法違法等には全く関係ないもの」(福岡高裁昭和三一年八月九日判決・高裁刑集九巻八号八七八ページ)である。外国人の管理それ自体は法によつて規律されているのであつて法により正式に在留を認められていたものではないにもかかわらず、外国人登録証明書を交付されたことから正式に本邦在留が認められていたとする申立人らの右主張は誤りである。

また、法九条一項、四項は、本邦上陸の申請を受理した入国審査官は、法七条一項各号に掲げる上陸のための条件に適合していると認定したときは、旅券に上陸許可の証印をしなければならず、しからざるときは口頭審理のために当該外国人を特別審理官に引き渡さなければならない旨を規定したものであるが、申立人梁及び同李は前記第一申立人らの経歴で述べたとおり有効な旅券又は乗員手帳を所持することなく申立人梁は本邦神戸港に、同李は大阪付近の港に不法に入国したものであつて、これまで法六条一項による上陸の申請を受理された事実もないし、また、法九条一項による上陸許可の証印を受けた事実もなく、申立人らの右主張は全くの虚偽である。

なお、付言するに申立人らの主張する「大韓民国国民登録証」とは、韓国の国内法である在外国民登録法に基づき、「外国において一定の場所に住所又は居所を定めている者」等について、登録のための申告がなされた場合に、公館の長より交付されるものであつて、法令上は違法滞在かどうかを問わないものである。したがつて、このような登録証の交付は、本邦における上陸申請の受理ないし上陸許可とは、全く関係がなく、この点でも申立人らの主張は失当である。

申立人らは、前記第二のとおり不法入国及び不法残留したことにより法第五章による退去強制の手続を受け、入国審査官の認定、特別審理官による判定及び法務大臣の裁決を経て当局主任審査官により適法に退令発付処分がなされたものであることは申立人ら及び被申立人提出の疎明資料により明らかであるから退令発付処分には何ら違法はないのである。

二 申立人らは、申立書七、八及び一〇項で、「法二四条一号の違反者に対する罰則は法七〇条により「三年以下の懲役若しくは禁錮又は三〇万円以下の罰金」であり、したがつて刑事訴訟法二五〇条五号により三年で時効完成しており公訴を提起できず、また仮に法二四条違反は事実行為として残つているが、日本国の刑事法が処罰の対象外としていることは明らかであり、処罰もできないのに強制送還することは「市民的及び政治的権利に関する国際規約」(以下「B規約」という。)一二条二項が規定する韓国からの出国の自由権を侵害することになる」などと主張する。

しかし、申立人らの右主張は、反論するまでもない程に明白な誤つた法の解釈に基づくものであつて失当である。以下、念のためその理由を述べることとする。

B規約一二条二項の出国の自由権を侵害するとの主張に対しては、後記三、1のとおり理由のないものであるが、そもそも申立人梁及び同李は、法三条に違反して本邦に不法に入国してきたものであつて法二四条一号に違反しているのではない。法三条に違反した者は法二四条一号該当者として、刑事処分である法七〇条による処罰の有無には関係なく、法二四条に基づき行政手続により本邦から当然に退去強制させられるのであり、刑事法が処罰の対象外としていることをもつて、行政手続で不法入国者をその領域外に退去強制するという処分が行えないとする申立人らの主張は明らかに的はずれである。

三 申立人らは申立書一〇、一一及び一四項において、退令発付処分がB規約一二条二項、同二四条及び「経済的、社会的及び文化的権利に関する国際規約」(以下「A規約」という。)一一条一項に違反すると主張する。

しかしながら、国際慣習法上、国家は外国人を受け入れる義務を負うものではなく、特別の条約がない限り外国人を自国内に受け入れるかどうか、また、これを受け入れる場合の条件や不法入国者の退去の制度を当該国家が自由に決定することができるものとされており、右A規約、B規約もこの慣習法を当然の前提とするものである(B規約一三条参照、疎乙第三六号証)。

1 退令発付処分がB規約一二条二項に違反するとする主張について

B規約一二条二項は、「すべての者は、いずれの国(自国を含む。)からも自由に離れることができる。」と規定する。この規定は申立人らのような韓国からの不法出国の自由までも認めるものとは考えられないのであるが、いずれにせよ右規定は何ら外国人の入国規制について、制約を加えるものでなく、申立人らが韓国からの出国の自由があるゆえに我が国がこれを尊重する義務があるとする主張は失当である。我が国はその主権に基づき独自の規定により、不法入国者を退去強制することができるものであることはいうまでもないところである。

2 退令発付処分がA規約一一条一項に違反するとする主張について

(1) A規約は、いわゆる社会権を内容とするものであるが、同二条一項は、「この規約の各締約国は立法措置その他のすべての適当な方法によりこの規約において認められる権利の完全な実現を漸進的に達成するため、自国における利用可能な手段を最大限に用いることにより、個々に又は国際的な援助及び協力、特に、経済上及び技術上の援助及び協力を通じて、行動をとることを約束する。」と規定する。右規定から明らかなように、A規約の諸規定は、国家の達成すべき目標というべきものである。したがつて、個々の処分をとらえA規約の各規定に反するとして、国にその回復、実現を請求することはできないのであり、申立人らの右主張はそれ自体失当である。のみならず、A規約一一条一項は合法的に居住している国民ないし住民に関する規定であり、右規定は不法入国者の退去強制を妨げるものでないことはこれまた当然である。

(2) さらに申立人らは、「申請人らの身寄りもなく、十分な生活水準を享受することは不可能であり、それにもかかわらず強制送還することは申請人ら親子五人に餓死を強いる」旨主張する。

しかしながら、前述のとおりそもそも申立人梁及び同李は本国で出生し、申立人梁は商業高等学校まで、同李は中学校までの教育を受け、申立人梁は二四歳、同李は一八歳で本邦に不法入国するまで本国で稼働していたものである。申立人梁は、現在三五歳、同李は三〇歳のいわゆる働きざかりであり、申立人梁は不法入国前も鞄の製造業という現在と同一の職種に従事していることから帰国後本国においてその生活を維持することは比較的容易であると思料され、かつ、本国には身寄りとして申立人梁の父、姉、兄、妹二人、弟二人が、また、同李の姉三人、妹一人がそれぞれ居住しているのであるから、「身寄りがない」との主張は虚偽である上、申立人らのみが本国で生活を維持できないとは考えられないところである。さらに、申立人梁及び同李は、現在、本邦に銀行預金として七〇〇万円(九月五日現在日本円一〇〇円は韓国ウオン五六八・七〇ウオンである。疎乙第四〇号証)を有しており、本国に帰国する際にはそれらを換金して相当額の現金を持ち帰ることができるのであつて、右金額は一九八三年現在の韓国人の平均賃金が月二七万三一一九ウオンであること(疎乙第三八号証)からみても相当な高額に達するものであり、本国へ強制送還されたとしても餓死するとは到底考えられないのである。また、韓国政府は、福祉社会の建設に努力し、各種福祉施策を実施しているのであるから(疎乙第三八号証)、この点からも申立人が送還後餓死するとは考えられないところである。

3 退令発付処分がB規約二四条に違反するとする主張について

申立人らは、B規約二四条により、「申立人龍孝、同智恵美、同由理は、児童として強制送還による餓死からの自由の保護措置を日本国に対して求める」旨主張する。

しかしながら、右申立人らは、それぞれ五歳、四歳、三歳の児童であるが、両親と共に韓国に帰国するものであり、今後引き続いて両親の保護を受けられるものである。そして、申立人ら一家が帰国後本国においてその生活を維持できることは前述のとおりであり、また、長ずれば本国における学校に通学できるものであつて、右申立人らの主張が失当であることは明らかである。

四 申立人らは申立書一五項において、「申立人らの在留は国際的に認められた権利であつて、本件強制退去命令は何ら日本国の公の秩序と公共の安全に対して脅威を与え、国家にとつて有害であると認められる正当な理由がないのになされたもので、法務大臣の裁量権を著しく逸脱する不当なものである」と主張する。

しかしながら、申立人らの在留が国際的に認められた権利でないことは前記三で述べたとおり明らかである。また、法は、二四条において前記三で述べた国際法の一般原則を踏まえて、出入国の公正な管理を図るため、「日本国の公の秩序と公共の安全に対して脅威を与え国家にとつて有害である」ものとして退去強制すべき者を事由別に列挙しているのである。我が国にとつて不法入国者が有害であることは論をまたない。申立人らは、前記のとおり法二四条の列挙事由のうち、法二四条一号及び七号にまさしく該当するものである。法務大臣は、その自由裁量により法二四条各号に列記する退去強制事由を変更することはできないし、また、法二四条各号を適用するかしないかの裁量権を有するものではなく、申立人らが、この意味での法務大臣の裁量権の逸脱を主張するのであれば右主張が失当であることは明らかである。

五 ところで、本案訴訟の請求の趣旨は、退令発付処分の取消しを求めるものにすぎないが、仮に右請求の趣旨に法務大臣が法五〇条に基づく在留特別許可を与えなかつたことを理由として本件裁決の取消しを求める趣旨を含むものと解したとしても、請求の原因中にその旨の明確な主張がないのであるから、右請求はそれ自体失当である。

しかも、法五〇条所定の在留特別許可(以下、「特在許可」という。)を与えるか否かの判断は、法務大臣の自由裁量に属するものであり(最高裁昭和三二年六月一九日判決・刑集一一巻六号一六六三ページ、東京高裁昭和三二年一〇月三一日判決・行裁例集八巻一〇号一九三〇ページ、最高裁昭和三四年一一月一〇日判決・民集一三巻一二号一四九三ページ)、しかも、特在許可は、法務大臣が当該外国人の個人的事情のみならず、国際情勢、外交政策等の客観的事情を総合的に考慮したうえその責任において決定されるべき恩恵的措置であつて、その裁量の範囲は極めて広いものであり(前記東京高裁判決参照)、それゆえ法務大臣の右判断は十分尊重されてしかるべきものである。

このように法務大臣による特在許可の許否の裁量は、広範な自由裁量に属するものであるから、当該裁量が違法とされるのは、裁量権の濫用又はその範囲の逸脱がある場合に限られるものであり、かつ、前述のような特在許可の法的性質を考慮すると、右裁量権の濫用又はその範囲の逸脱があるとされる場合とは、特在許可を与えないとした判断が、事実の基礎を欠くか、又は右判断が社会通念上著しく妥当性を欠くことが明白である場合に限られるというべきである(最高裁昭和五三年一〇月四日判決・民集三二巻七号一二二二ページ・マクリーン最高裁判決参照)。

申立人らは、「強制送還することは申立人ら親子五人に餓死を強いるものである。」と主張するが、この主張を右裁量権逸脱の理由であると解するとしても、前述したとおり、申立人らが、強制送還により餓死するとは考えられず、法務大臣の特在許可を与えないとした判断が、事実の基礎を欠くか、又は右判断が社会通念上著しく妥当性を欠くとは到底考えられず、申立人らの主張が失当であることは明らかである。

六 以上のとおり、申立人らの主張はいずれも理由がなく、本件は「本案に理由がないとみえるとき」に該当することが明らかであるから、却下を免れないのである。

もつとも、行訴法二五条三項後段の「本案について理由がないとみえるとき」の要件の判断に当たつて、被申立人の主張事実をすべて認めながら、それ以上に申立人らが特段の事情を主張・疎明しているものでもないのに「法務大臣が裁決に当つて、在留特別許可を与えなかつたことが、裁量権の逸脱ないし濫用である旨の主張は、明らかに失当であるとはいえないうえ、本案訴訟において、右の主張が認められる余地が全くないわけではないから、本案について理由がないとみえると断定することはできない。」との判断のもとに右要件の存在を否定する決定例が存するが、右のような判断は失当である。

行訴法二五条三項所定の「本案について理由がないとみえるとき」の類型としては、〈1〉本案について理由がないことが明白であるときの外に、〈2〉処分が一応適法で申立人の全疎明によつても違法であるとすることができないときが、その一類型として掲げられ、右〈2〉の場合に関し、「被申立人によつて、処分の適法要件が具備されていることが疎明されると、その処分は「一応公共の福祉に合致するものというべきであるから」申立人において処分が適法でないこと又は処分が違法であることを疎明しない限り処分が違法ではないとの疎明があつたこととな」(緒方節郎「行政処分執行停止」裁判法の諸問題上七〇五ページ)るとされている。また、本案について理由がないとみえることの心証は、「証明に比し、より低度の蓋然性、多分、おそらくはそうであろうという程度の蓋然性をいう」(菊井―村松・民事訴訟法II二一七ページ)とされる疎明で足りるということも忘れてはならない(以上につき、緒方・前掲論文七〇二ページ以下)。このような考え方のもとに「本案について理由がないとみえる」かどうかが判断されるべきであるところ、これを本件の場合について検討すると、法務大臣の本件裁決が適法要件を具備していることは前述したところから明らかであり、それに加えて、本件のような法務大臣の裁決が適法か違法かは、不法入国者等に対し、法務大臣が、特在許可を与えなかつたことが、裁量権を濫用し、その範囲を逸脱したかどうかによつて決せられるべきところ、右法務大臣の裁量の範囲は極めて広いものであり、それゆえ法務大臣の右判断が十分尊重されるべきであることに照らすと、被申立人が主張、疎明した前述の事実関係からすると、法務大臣が裁量権を濫用し、その範囲を逸脱したとは到底いうことができない。

また、裁判所において、法務大臣が右裁量権を濫用し、その範囲を逸脱したかどうかについて判断するに当たつては、過去における不法入国者に対する退去強制令書発付処分等取消請求事件において、法務大臣が右裁量権を濫用し、その範囲を逸脱したと判示された事例があるかについても考慮されるべきである。けだし、本案訴訟において、申立人(原告)の主張が認められ請求が認容されることが原則として存しない以上、執行停止申立事件において「本案について理由がないとみえるとき」に当たるものとは断定し得ないなどとして、具体的根拠も存しないのに将来において立証等がなされるかもしれないとの危惧のもとに判断することが誤つていることを示すからである。そこで過去の裁判例をみてみると本件のような事案において、法務大臣が特在許可を与えなかつたことにつき、裁量権の行使が違法であると判示された事例は皆無である。もつとも、不法入国事案において、今日までに一審において被告が敗訴した事案は四件あるが、内三件(疎乙第三七号証一八七ページ下表掲記の三件であり、その事例は一九〇ページ〈5〉、〈8〉及び一九一ページ〈14〉掲記のものである。右各ページの記載からも明らかなように、〈5〉の事案は一審判決後訴えが取り下げられ、〈8〉及び〈14〉の事案は、いずれも控訴審において原判決取消し、原告の請求棄却の判決が言い渡され、上告審において上告棄却の判決で終了している。)は、法務大臣の右裁量権の行使の適否が争われたものではなく(右〈5〉につき乙第三七号証一九〇ページ、右〈8〉につき二〇三ページ、右〈14〉につき二〇六ページ参照)、また、内一件(大阪地裁昭和五九年七月一九日判決・判例タイムズ五三一号二五五ページ)は、本件とは事案を異にし、現に大阪高裁第一二民事部において係属中のところである。

このような過去の裁判例に照らしても、本案訴訟において法務大臣の裁量権の行使が違法であるとされることは皆無に等しいということができ、それゆえ「本案について理由がないとみえるとき」に当たらないとか断定することができないという判断は慎重になされるべきであり、それがいい得るのは、申立人らにおいて申立人らに対し特在許可を与えるべきであるとする積極的な特段の事情を疎明した場合に限るべきであるというべきであり、本件の場合にそのような事情が主張すらされていないことはいうまでもない。

さらに、退令発付処分等取消請求訴訟を本案とする執行停止申立事件において、行訴法二五条三項後段を理由に執行停止申立てを却下した裁判例は、最近だけでも次のとおり多数存在し、これらの決定の趣旨は、本件においても十分に参考とされるべきである。

大阪高裁 昭和五一年七月一九日決定

(昭和五一年(行ス)第九号事件)

大阪高裁 昭和五五年九月二二日決定

(昭和五五年(行ス)第八号事件)

名古屋地裁 昭和五〇年四月三日決定

(昭和五〇年(行ク)第三号事件)

名古屋地裁 昭和五三年七月一四日決定

(昭和五三年(行ク)第一六号事件)

東京地裁 昭和五三年三月一七日決定

(昭和五三年(行ク)第六号事件)

東京高裁 昭和五七年一一月一六日決定

(昭和五七年(行ス)第二五号事件)

大阪地裁 昭和六〇年一一月八日決定

(昭和六〇年(行ク)第一四号事件)

大阪地裁 昭和六一年六月一七日決定

(昭和六一年(行ク)第一八号事件)

大阪地裁 昭和六一年七月一八日決定

(昭和六一年(行ク)第二四号事件)

大阪高裁 昭和六一年七月一八日決定

(昭和六一年(行ス)第一二号事件)(疎乙第三九号証)

以上のとおり、本件申立ては、本案について理由がないことが明らかであるから、行訴法二五条三項後段の規定により不適法として却下されるべきである。

第四 回復困難な損害を避けるための緊急の必要性について

右要件は執行停止の実体的要件であり、「回復困難な損害」とは、「処分を受けることによつて被る損害が金銭賠償不能あるいは原状回復不能のもの、若しくは著しい損害でなくとも、社会通念上それを被つたときはその回復は容易でないとみられる程度のもの」といわれているが、申立人らは、退令の執行により具体的にいかなる損害を被るのか何ら主張、立証していないのであつて、本件申立ては、この点でも理由がないことは明らかである(なお、申立人らの主張のうち、「強制送還することは申立人ら親子五人に餓死を強いるものである。」との点が「回復困難な損害」の主張とみられなくもないが、右事実が認められないことは前述のとおりである。)。

第五 退令の執行を停止することが公共の福祉へ重大な影響を及ぼすおそれがあることについて

一 退去強制の実施については、被退去強制者を速やかに所定の送還先に送還し、もつて我が国社会にとつて好ましくない外国人を排除するという目的を達するため、その時期、方法等について高度の政治的判断、応変の措置等が必要とされるのである。しかるに、退令の発付を受けた者が抗告訴訟を提起し、あわせて退令の執行停止を申し立てた場合、単に本案訴訟の提起、係属を理由に安易に退令に基づく送還停止を認めるとすれば、本案訴訟の係属している期間中、このような不法入国者の送還を長期にわたり、不可能とすることになり、出入国管理行政に対し、これを長期間停滞させるとともにはなはだしい打撃を与えるばかりか、送還先の国(本件の場合は申立人梁及び同李が密出国した韓国)の受け入れ準備を無意味ならしめ、日本国の国際上の信用を著しく損なうものであつて到底容認し得ないものである。

二 前記のとおり、退令を発付された者は、その執行を受け収容されることになるが(法五二条五項)、この退令収容の目的は単に送還のための身柄の確保のみならず、被退去強制者を隔離してその在留活動を禁止することにある。

一方、退令を発付された外国人は、退令収容された場合でも収容を継続することが妥当性を欠くなどの事態に至つた場合には、住居及び行動範囲の制限、呼出しに対する出頭の義務、その他必要と認める条件を付し、更に三〇〇万円以内の保証金を納付させ、保証人を立てさせる等して在留活動を制限し例外的措置として期限を区切つて仮放免をなすことができることとなつている(法五四条二項)。

しかるところ、仮に退令発付された申立人らに対して、送還部分のみならず収容部分までその執行を停止することになれば、正式に入国し適法に在留する外国人が法による規定を受けるのに比し、違法な入国、不法に在留する者らを法の定める何らの規制を受けることなく全くの放任状態のまま司法機関によつて公認された形で在留させる結果になるのである。

このことは、裁判所が行政処分に積極的に干渉して仮の地位を定める結果を招来し、行訴法四四条の趣旨に反し三権分立の建前にも反するものであるばかりか法の定める外国人管理の基本的支柱たる在留資格制度(法一九条一項)を著しく混乱させるものであり、仮放免許可と異なり申立人らを何らの規制を受けることなく野放し状態で在留させることとなるのである。

また、収容部分までの執行を停止するとすれば、申立人らの仮放免中、保証金を納入させる等の逃亡防止を担保するいつさいの手段がなくなり、逃亡により退去強制令書の執行を不能にする事態も当然考えられるのであり、このような事態は本件同様、不法入国する者を誘発、助長するものであつて、公共の福祉に重大な影響を及ぼすものである。

第六 以上のとおり、申立人らの本件申立ては、いずれも執行停止の各要件を欠くものであるから、貴裁判所におかれては速やかに本件申立てを却下されるよう意見を申し述べる次第である。

別紙(四)

補充意見書

申立人らの昭和六一年九月二二日付け意見書について次のとおり反論する。

一 申立人らは、「出入国管理及び難民認定法(以下「法」という。)二四条は「退去を強制することができる」とあり、退去強制をしない場合を予定している任意規定である。」と主張する。

しかしながら、法二四条は「次の各号の一に該当する外国人については……退去を強制することができる」と規定しているが、これは退去強制処分を行う行政庁の権能を規定したことにとどまり、当該行政庁に処分を行うについての裁量の権限を与えていないいわゆる羈束行為であることは、法二九条から四九条までの規定から明らかである。すなわち入国警備官は、法二四条各号の一に該当する疑いのある者があれば、その者を収容して当該違反事実につき調査をなした上、これを入国審査官に引き渡さなければならない(法二七条、三九条、四四条)ものであり、入国審査官は右引渡を受けた事件につき、容疑者が法二四条各号のいずれかに該当するか否かを審査し認定する(法四五条一項)ことを要し、また当該容疑者が右認定を不服として口頭審理の請求をしたときは、特別審理官は口頭審理を行い、右認定に誤りがないか否かを判定(法四八条三項、六項、七項)しなければならず、更に容疑者が右判定に対し異議の申出をなした場合には、法務大臣は右異議申出が理由があるか否かを審理し、裁決することを要する(法四九条三項)ものとされている。このように入国審査官の認定、特別審理官の判定及び法務大臣の裁決は、いずれも容疑者が法二四条各号の一に該当するものであるか否かの点のみを審査し、決定するよう義務づけられているのであつて、法二四条各号の一に該当する者につき、事案の軽重その他の事情を考慮する余地は全くなく、しかも主任審査官は、右の認定、判定、裁決の確定次第必ず退去強制令書発付処分をしなければならず(法四七条四項、四八条八項、四九条五項)、令書発付処分をするか否かの裁量の余地はないのである。したがつて、主任審査官に自由裁量権があることを前提とする申立人らの主張は失当である(名古屋地裁昭和四五年七月二八日判決・訟務月報一六巻一二号一四五三ページ参照)。

二 申立人らは、「申請人の刑事罰の対象外であるとの主張は申請人らの存在が日本国の公の秩序と公共の安全に対して脅威を与え、その者の在留が日本国にとつて有害であると認められない理由として挙げたもので、刑事法と行政処分を混同したものではなく、歳月の経過により退去強制に価する不法入国ではなくなつたと主張しているのである。また、本件退去強制命令は申請人らの多年に亘り礎き上げた大阪、旧猪飼野地区での鞄製造業としての営業権を剥奪し、その死命を制するものである。

此の事は申請人らの財産権の侵害であり、何等の補償も与えずなされた本件命令は中曽根政府の行政権行使の逸脱であるのみならず、憲法二九条財産権不可侵の規定に違反し、同一三条個人の幸福追及権を侵害する遺憲の命令である。」と主張する。

しかし、法二四条は、不法入国者、不法残留者の本邦在留が日本国の公の秩序と公共の安全性に対して脅威を与え国家にとつて有害であるものとして、これを退去強制事由としていること、申立人らは、右法条に該当し退令を発付されたことは既に被申立人の昭和六一年九月一七日付け意見書(以下「意見書」という。)第二及び第三、四で述べたとおりである。

そもそも、不法入国者は、本邦に入ること自体を禁じられている者であつて(法三条)、元来その在留は到底許容される余地のないものであり、法律上保護されるべき利益を亨有し得ないものである。したがつて、たまたま不法入国者が本邦に事実上在留し生活基盤を築いたとしても、それは、いずれ清算されるべき立場にあるものであつて、その入国の違法性は歳月の経過により何ら治癒されるものでないことはもちろん退去強制に価する不法入国でなくなることもないのである。

すなわち、不法入国者等その在留の継続は、違法状態の継続にほかならず、長期間平穏に経過したからといつて直ちに法的保護を受ける筋合のものではない(最高裁昭和五四年一〇月二三日判決・訟務月報二六巻三号四六八ページ、疎乙第四三号証)。したがつて、申立人らの右主張は、申立人らが置かれた法的地位を忘れた全く身勝手な主張というほかなく、まして本件処分が憲法二九条に違反するなどということは全く考え得ないところであり、また、不法入国者の退去強制・送還によりその従来の生活基盤が失われることがあつたとしても、それは前述のとおり法が本来予定した結果にすぎないのであるから、憲法一三条の幸福追及権を侵害するということができないのも明白である。

三 申立人らは、「梁の父兄は生活難のためアメリカへ移民し、家もなく、李の姉妹は他家へ稼ぎ音信不通で、両名が済州へ帰つた処で、住む家すらない状態であり、僅かの預金は三人の幼児を抱えて、数か月の生活を支える程度のものであり、尚、梁はてんかん、李は婦人病で腰痛が激しく、身体的にも済州での生活には到底堪えないものである。」と主張する。

申立人梁三鉉(以下「申立人梁」という。)の親族については疎乙第三号証(供述調書第一三項)によれば韓国には、父、姉、兄、妹二人、弟二人が住んでいることが認められるのであり、申立人らの右主張は事実に反するのであるが、仮に、疎甲第二七号証のとおり、父が今年七月二〇日ころ移民としてアメリカへ行き、兄も現在アメリカ移民の準備中であつたとしても、申立人梁も父、兄と同様に本国へ帰国後、正規の手続により移民受入国であるアメリカへ行くことも可能であるし、意見書第三、三、2、(2)で述べたとおり本国へ帰国する際には本邦に銀行預金として有している七〇〇万円を持ち帰ることができるのであつて、日本と韓国の貨幣価値の相違を考えれば相当な高額に達するものである(九月五日現在日本円一〇〇円は韓国ウオン五六八・七〇ウオンであり、一九八三年現在の韓国人の平均賃金が月二七万三一一九ウオンである―疎乙第三八号証、第四〇号証。ちなみに、申立人らの所持金を単純計算をしても約一二年分の賃金に相当する。)から、「僅かの預金で、数か月の生活を支える程度のもの」との主張は全く事実に反する失当なものである。また、申立人梁は、てんかん、申立人李永順(以下「申立人李」という。)は、婦人病で済州での生活には到底堪えないと主張する。しかしながら、申立人梁は、疎乙第三号証(昭和六〇年九月二日付け供述調書第一七項)において「私達家族は全員健康です。」と家族が日常生活において障害となる疾病を有するものでないことを明確に述べているのである。確かに、疎甲第二九号証(診断書)には、申立人梁がてんかんの病名で現在治療中である旨の記載はあるが、右てんかんとの診断自体本人の申告に基づくものであり、脳波を検査するも異常はないというのであり、また、てんかんによる発作が現にあつたかどうかも不明であつて、かつ、その後今日に至るまで発作はないとのことである(疎乙第四六号証)、以上のことと右疎乙第三号証の供述内容からすると、何ら日常生活においても支障はなかつたものの法務大臣による本件裁決がなされることを予知し、その結果送還されることを逸れんがために診察を受けるに至つたものと推認し得るのであり、このような推認があながち見当違いでないことは従来の同種事案の経験則に照らしても明らかである。また、疎甲第三〇号証(診断書。ただし、同診断書は医師の署名はあるものの住所、医療機関名等が不明である。)には、申立人李が昨年九月六日に子宮外妊娠により入院し左卵管切除術を行い同月一九日退院したとする事実を記載するにとどまり、現在どのような病状であるかの記載は全くなく、さらに、疎乙第四五号証によると退院後医療機関において診療を受けたこともないことが認められるのである。以上のごとく、申立人梁、同李の右主張にかかる疾病をもつて同人らを送還するに際し障害となる事情ではなく、また、本国においてもその病気の治療が可能なことはいうまでもなく(このことは疎乙第四六号証の記載によつても明らかである。)、かつ、日常生活に耐え得るものであることは明白であるところ、申立人ら提出の資料をもつてしては右主張事実を疎明し得たものとすることはできない。

四 申立人らは、「一昨年一〇月八日、全斗煥大統領の来日に際し、中曽根首相との首脳会談を受けて、日韓同伴の新時代の開幕を宜して発表した日韓共同声明の第九項に「首相と大統領は、在日韓国人の特殊な歴史的背景を考慮し、その法的地位及び待遇の問題が両国民間の友好関係の増進に深くかかわつていることに留意した。

大統領は、これに関連し、これまで日本政府がとつてきた措置を評価しつつ、日本政府がこの問題について今後とも努力を継続するよう要請し、首相は、引き続き努力する旨述べた」とある。

中曽根首相を長とする日本国政府は此の共同声明の趣旨に副い、在日韓国人の法的地位及び待遇向上に努める行政上の義務を負担したことになる。従つて、在日韓国人の国外追放に当つても日韓両国の国際関係を考慮し、その特在許可についても出来る限り許可すべき国際的義務がある。処が被申請人の意見書は申請人らが在日韓国人であることについて一顧だにしていない。

韓国人の法的地位及び待遇の観点からすれば退去強制は死刑宜告に等しく、日韓共同声明の趣旨から安易になさるべきではない。」と主張する。

しかしながら、申立人らの右主張も失当である。すなわち、日韓共同声明第九項の「在日韓国人の法的地位及び待遇の問題について、日本政府が今後とも努力を継続する」との趣旨は、我が国が韓国との間に「日本国に居住する大韓民国国民の法的地位及び待遇に関する日本国と大韓民国との間の協定」(昭和四〇年一二月一八日条約第二八号)を締結するなどして、在日韓国人が日本国の社会と特別な関係を有するに至つていることを十分に考慮してきた経緯を踏まえ、今後ともこれら協定に該当する在日韓国人、あるいは子孫等についての法的地位及び待遇の問題についても引き続き努力することを明らかにしたものであつて、申立人らのごとく不法に本邦に在留する韓国人に対してまで特別の保護を与えるとするものではなく、また退去強制を差し控えるとするものでもないのであるB

五 申立人らは、「被申請人は同書第一、5において「申立人梁は、昭和六一年一月三一日、大阪地方裁判所において外国人登録法違反により懲役六月執行猶予二年の判決を受けている」と述べているがその摘示する疎乙第七号証には「懲役八月3年間執行猶予訴費負担」となり、その誤りであることは明白である。

被申請人の処断刑と云うような重大事項について此のような明白な誤りを犯しているのであるから、内部的に法務大臣の特在許可のための資料にも重大な誤りがあり、その誤つた資料に基づいて法務大臣が特在許可をしなかつたものと推定されるのである。」と主張する。

申立人らが指摘する申立人梁の外国人登録法違反の判決内容の記載が意見書では「懲役六月執行猶予二年の判決」と記されていることについてはこれは単なる誤記であり、これと法務大臣の裁決とは何ら関係がなく、本書面において意見書第一、一、5の一〇行目以下に「懲役六月執行猶予二年の判決」とあるを「懲役八月執行猶予三年の判決」と訂正するものである。法務大臣が裁決するに当たつては被申立人提出の疎明資料の原本、具体的には、例えば疎乙第七号証に記載されている判決内容である「外国人登録法違反、懲役八月、三年間執行猶予、訴費負担」を考慮してなされているのであるから誤つた資料に基づいて法務大臣が在留特別許可(以下「特在許可」という。)を与えなかつたとする主張は失当である。

六 申立人らは、被申立人が「退令の執行を停止することが公共の福祉に重大な影響を及ぼすおそれがある」と主張したことに対して「大阪の生野区等には大正時代から大阪・済州島内に定期航路があり。容易に往来していた影響もあつて、平和条約発効以後も密航者が絶えず、同地区に潜伏している密航者の数は掴みきれないことは顕著な事実である。(疎甲第二五号証)

此の状態が外登法の趣旨から好ましくないことは当然であるが被申請人の云う今後の不法入国者は水際で取締れるが、潜在密航者はその自発的意思に待たないと取締ることは極めて困難で、申請人らのように一〇年以上経過して尚、自首した場合でも退去強制される先例が作られると今後自首する者はなくなり、外国人の管理行政に支障を来たし、それこそ公共の福祉に重大な影響を及ぼす事態が現実に発生することが明らかである。」と反論する。

かかる主張が意見書第五の反論として的はずれであることは明らかであるが、その点は措くとしても、右主張は、我が国の出入国管理行政を軽視、蹂りんするばかりか、行政の実体を見ない暴論である。

すなわち、出入国管理局(以下「当局」という。)では、水際摘発の目を逃れて潜在している不法入国者の摘発についても入管行政の重要施策として積極的にこれを推進しているのであり、これを昭和五四年度潜在摘発の端緒別にみてみると本人申告は三七%であり、他は警察、検察等関係機関及び一般人からの通報並びに当局探知となつている。また、申告した者の動機についてみても本邦在留の特別許可が得られるであろうとの見通しをもつて申告してくる者は、本人申告のうちの約半分にすぎず、他はいわゆる出稼ぎの目的を達したため帰国を希望して申告する者や取締機関による活発な摘発活動の波及的効果として、摘発から逃れることが困難と観念して申告してくる者なのである(疎乙第四四号証)。したがつて、申立人らが主張するように申立人らが送還されることにより、今後申告する者がなくなり、出入国管理行政に支障を来たすことなど発生しないのである。

逆に不法入国後かなりの年月が経過し、その間に生活基盤を築き、申告してきた者に対しては一律に特在許可を与えるとの先例が作られればそれこそ公正な出入国管理が成り立たないことは明らかであろう。

以上のとおり、申立人らの主張はいずれも理由がないことが明白であるから本件執行停止の申立てはいずれも却下されることを求める次第である。

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